2020年09月30日
CFP vol.47 上原美智代さん
南城市大里にある「茶房 一葉」で美味しい中国茶が飲めるということで、店主の上原美智代さんにお話を伺ってきました~
-ごさまるお-
茶房『一葉』初めて来ましたが温もりを感じるカフェですね。
南城市大里にこのような場所があったなんて
お店の名前も素敵ですね
-上原さん-
茶房を開いて12年になります
お店の名称は一つの葉っぱからお茶(日本茶、中国茶、紅茶など)ができるということから「一葉」にしました。
(話しながらお茶を入れてくれる上原さん☆)
どうぞ このお茶は如何かしら
-ごさまるお-
いい香り
この一口サイズのちっっちゃな茶碗で飲むのですね。
ほぉぉぉ(*´▽`*)
飲み干した後にジャスミンの香りが広がって、落ち着きます
-上原さん-
気に入っていただいてよかったです。
実は、このジャスミン茶は「一葉」のお手製なんですよ。
お店の周りにプランターがありましたでしょ
そのプランターに植えたジャスミンの花は夜開きます。夕方に摘んだジャスミンの蕾を緑茶に混ぜて一晩で開かせ香りを吸着させるんです(*´▽`*)
-ごさまるお-
サンピン茶を自らの手で作っているとは、すごいですね
お茶については本場中国で勉強されたのですか
-上原さん-
そうですね
17年前に、あるツアーに参加して「お茶」について勉強したのが始まりです。その時に、世界のお茶の発祥は中国だと学び、いろいろな種類のお茶に興味を持つようになりました
その後中国で研修を受け、中国国家認定の茶芸師という職業資格を取りました。
-ごさまるお-
へぇ~、本格的ですね~
あまり聞きなれないのですが、茶芸師とはどのような職業資格なのでしょう
-上原さん-
茶芸師とは日本の美容師、調理師などと同じような職業資格で、お茶に関する発酵などの知識は基より、実際にお茶を「美味しく丁寧に淹れる」が認定の条件にあり、技術的要素も持ち合わせている資格でもあるんです
-ごさまるお-
資格を取るにも相当勉強しなきゃいけないと思うのですが、中国でお茶に触れて驚いたことってありますか
-上原さん-
あります。目から鱗だったのが・・・
中国のお茶と言えば烏龍茶を想像する方が多いと思います。ところが、実際は、7割以上が緑茶で、緑茶を飲む人の方が断然多いんですね。二次加工的にサンピン茶になったり、プーアル茶などになったりもしますが、生産量として7~8割は緑茶です
他にも、ジャスミン茶のことを中国では「香片茶(サァン・ピェン・チャァ)」と言います沖縄で愛飲されているサンピン茶が中国との交易時代に伝わり中国語の発音が変化して「サンピン茶」となりました。沖縄の人たちは昔から中国茶、つまりサンピン茶を飲んでいたということです
-ごさまるお-
発酵茶が主だと思っていたので生産高の7~8割が緑茶だとは驚きました。
現地では、どのようなことを学びましたか
-上原さん-
中国でお茶を勉強する際の導入として、まず「緑茶」から入ります。ですから、日本の緑茶との違いが明らかになります。そして、中国の烏龍茶、プーアル茶、紅茶、と段階を追って勉強していきます
-ごさまるお-
僕も中国に住んだことがありますが、中国の方々って自国の文化に誇りをもっているし、他国の文化にも興味をもっているんですよ。そういった意味では、茶芸も一つの文化として世界に知ってもらいたいという思いがあったのではないかと思うのですが、その辺りはいかがですか
(お茶を学ぶため中国に渡った日本人:聖一國師の石碑 径山寺にて)
-上原さん-
そうですね。
私が中国へ行って中国で資格を取得できたということは、中国の文化である「お茶」の素晴らしさを伝えたい、ということなんだと思います。そうでなければ、何千年も続いている文化をそう簡単に教えることはないと思います。
沖縄に観光に来る中国や台湾の方たちはマイボトルを持ち歩いていますねボトルには緑茶を入れて、何度も熱いお湯を継ぎ足しては1日中飲んでいます。「煎がきく」と言って贅沢な飲み方なんですね。それくらい中国や台湾の方たちにとっては「お茶」は身近なものなんです
-ごさまるお-
何度でも美味しくいただけるとは贅沢ですね
僕も中国のお茶を贅沢に飲んでみたい ということで、おススメの中国茶を教えてください
-上原さん-
おススメのお茶は・・・
無いことは無いんですけど、今はコロナで渡航できないので、あるとしても買えないんです
・・・でもあります
緑茶、白茶、黄茶、烏龍茶、紅茶、プーアル茶とあるんですが、緑茶以外のほとんどのお茶は保存が良く、賞味期限が長いんですね。緑茶に関しても、日本の緑茶に比べ、保管状態がよければ結構持ちはいいです。
むしろ、10年~20年経ったお茶の方が価値が高くなるというお茶もあるので一概にこれ!とは言えませんが、プーアル茶、烏龍茶が比較的に手に入りやすいと思うので、おススメです
-ごさまるお-
お茶って色んな種類がありますが、全てお茶の樹の葉っぱから作られているんですよね
-上原さん-
そうですね。
お茶はツバキ科の樹なんですが、その葉っぱが自力で酸化・発酵するという科学的変化の働きで緑茶になったり紅茶になったり烏龍茶になったりするわけです。
例えば、ここに1本のお茶の樹があったとして、「あなた紅茶作りなさい、烏龍茶作りなさい、緑茶作りなさい」となった場合、作れはします。但し、発酵方法によって酸化が上手くいくものと上手くいかないものがあります。
そういったものを見極めて、「この発酵方法は紅茶に向いているなぁ、烏龍茶に向いているなぁ」と作り分けられるのが、お茶の面白さです。
-ごさまるお-
なるほど、面白いですね
お茶の葉っぱは、地域や育つ環境によっても品質や味が変わってくるのでしょうか
-上原さん-
変わってきます!
中国は広大な大陸です。北は山東省から南は雲南省までお茶が栽培されています。その場所によって緑茶が主体だったりプーアル茶が主体だったりしますが、中国国内は陸続きでどのお茶でも手に入りますね。
台湾は小さな島国でありながら高低差が0地点から高山の3,000m級の山まであるので、その高低差を利用してお茶が生産できます。茶葉は育った環境によって風味に違いが出てくるし、その茶葉を烏龍茶にすれば幅が更に広がります。烏龍茶は、発酵焙煎の強いものから緑茶の緑に近いような烏龍茶まであります。わかりやすく言えば、台湾の烏龍茶の風味を指で数えたとしたら1~10の味わいがあって楽しめます。緑茶の場合だと1~3程度になります。なので、台湾の烏龍茶はバラエティ豊かで面白いと思います。
-ごさまるお-
上原さんのお話を伺っていると、益々「お茶」に興味が湧いてきました(*´▽`*)
また、上原さんの淹れてくれるお茶とお茶請けをお目当てに「一葉」に来ますね
最後に、上原さんにとって「お茶」とは何か教えてください
-美智代さん-
私にとってお茶とは、「その日の気分によって選べるバラエティ豊かで楽しめるもの」ですね
中国では茶館といってお茶を飲める場所があるんですが、そこへ行けば話が弾み皆仲良くなれるという文化があります。
まさに中国の四字熟語にある「以茶会友」を表していると思います
-ごさまるお-
いい言葉ですね
今日は、お茶を飲みながらお話ししたせいか、気持ちがホンワカいい気分です
また、楽しいお話を聞かせてくださいね~。
美味しいお茶と茶請けのマントウもごちそうさまでした
※掲載写真の一部はブログ「一葉」から抜粋しました。
2013年 10/16~、2015年 5月~のブログをご覧になると詳細がわかります
Interviewee:上原美智代
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Writer:ごさまるお・ちゅら子
Proofreader:プー子
-ごさまるお-
茶房『一葉』初めて来ましたが温もりを感じるカフェですね。
南城市大里にこのような場所があったなんて
お店の名前も素敵ですね
-上原さん-
茶房を開いて12年になります
お店の名称は一つの葉っぱからお茶(日本茶、中国茶、紅茶など)ができるということから「一葉」にしました。
(話しながらお茶を入れてくれる上原さん☆)
どうぞ このお茶は如何かしら
-ごさまるお-
いい香り
この一口サイズのちっっちゃな茶碗で飲むのですね。
ほぉぉぉ(*´▽`*)
飲み干した後にジャスミンの香りが広がって、落ち着きます
-上原さん-
気に入っていただいてよかったです。
実は、このジャスミン茶は「一葉」のお手製なんですよ。
お店の周りにプランターがありましたでしょ
そのプランターに植えたジャスミンの花は夜開きます。夕方に摘んだジャスミンの蕾を緑茶に混ぜて一晩で開かせ香りを吸着させるんです(*´▽`*)
-ごさまるお-
サンピン茶を自らの手で作っているとは、すごいですね
お茶については本場中国で勉強されたのですか
-上原さん-
そうですね
17年前に、あるツアーに参加して「お茶」について勉強したのが始まりです。その時に、世界のお茶の発祥は中国だと学び、いろいろな種類のお茶に興味を持つようになりました
その後中国で研修を受け、中国国家認定の茶芸師という職業資格を取りました。
-ごさまるお-
へぇ~、本格的ですね~
あまり聞きなれないのですが、茶芸師とはどのような職業資格なのでしょう
-上原さん-
茶芸師とは日本の美容師、調理師などと同じような職業資格で、お茶に関する発酵などの知識は基より、実際にお茶を「美味しく丁寧に淹れる」が認定の条件にあり、技術的要素も持ち合わせている資格でもあるんです
-ごさまるお-
資格を取るにも相当勉強しなきゃいけないと思うのですが、中国でお茶に触れて驚いたことってありますか
-上原さん-
あります。目から鱗だったのが・・・
中国のお茶と言えば烏龍茶を想像する方が多いと思います。ところが、実際は、7割以上が緑茶で、緑茶を飲む人の方が断然多いんですね。二次加工的にサンピン茶になったり、プーアル茶などになったりもしますが、生産量として7~8割は緑茶です
他にも、ジャスミン茶のことを中国では「香片茶(サァン・ピェン・チャァ)」と言います沖縄で愛飲されているサンピン茶が中国との交易時代に伝わり中国語の発音が変化して「サンピン茶」となりました。沖縄の人たちは昔から中国茶、つまりサンピン茶を飲んでいたということです
-ごさまるお-
発酵茶が主だと思っていたので生産高の7~8割が緑茶だとは驚きました。
現地では、どのようなことを学びましたか
-上原さん-
中国でお茶を勉強する際の導入として、まず「緑茶」から入ります。ですから、日本の緑茶との違いが明らかになります。そして、中国の烏龍茶、プーアル茶、紅茶、と段階を追って勉強していきます
-ごさまるお-
僕も中国に住んだことがありますが、中国の方々って自国の文化に誇りをもっているし、他国の文化にも興味をもっているんですよ。そういった意味では、茶芸も一つの文化として世界に知ってもらいたいという思いがあったのではないかと思うのですが、その辺りはいかがですか
(お茶を学ぶため中国に渡った日本人:聖一國師の石碑 径山寺にて)
-上原さん-
そうですね。
私が中国へ行って中国で資格を取得できたということは、中国の文化である「お茶」の素晴らしさを伝えたい、ということなんだと思います。そうでなければ、何千年も続いている文化をそう簡単に教えることはないと思います。
沖縄に観光に来る中国や台湾の方たちはマイボトルを持ち歩いていますねボトルには緑茶を入れて、何度も熱いお湯を継ぎ足しては1日中飲んでいます。「煎がきく」と言って贅沢な飲み方なんですね。それくらい中国や台湾の方たちにとっては「お茶」は身近なものなんです
-ごさまるお-
何度でも美味しくいただけるとは贅沢ですね
僕も中国のお茶を贅沢に飲んでみたい ということで、おススメの中国茶を教えてください
-上原さん-
おススメのお茶は・・・
無いことは無いんですけど、今はコロナで渡航できないので、あるとしても買えないんです
・・・でもあります
緑茶、白茶、黄茶、烏龍茶、紅茶、プーアル茶とあるんですが、緑茶以外のほとんどのお茶は保存が良く、賞味期限が長いんですね。緑茶に関しても、日本の緑茶に比べ、保管状態がよければ結構持ちはいいです。
むしろ、10年~20年経ったお茶の方が価値が高くなるというお茶もあるので一概にこれ!とは言えませんが、プーアル茶、烏龍茶が比較的に手に入りやすいと思うので、おススメです
-ごさまるお-
お茶って色んな種類がありますが、全てお茶の樹の葉っぱから作られているんですよね
-上原さん-
そうですね。
お茶はツバキ科の樹なんですが、その葉っぱが自力で酸化・発酵するという科学的変化の働きで緑茶になったり紅茶になったり烏龍茶になったりするわけです。
例えば、ここに1本のお茶の樹があったとして、「あなた紅茶作りなさい、烏龍茶作りなさい、緑茶作りなさい」となった場合、作れはします。但し、発酵方法によって酸化が上手くいくものと上手くいかないものがあります。
そういったものを見極めて、「この発酵方法は紅茶に向いているなぁ、烏龍茶に向いているなぁ」と作り分けられるのが、お茶の面白さです。
-ごさまるお-
なるほど、面白いですね
お茶の葉っぱは、地域や育つ環境によっても品質や味が変わってくるのでしょうか
-上原さん-
変わってきます!
中国は広大な大陸です。北は山東省から南は雲南省までお茶が栽培されています。その場所によって緑茶が主体だったりプーアル茶が主体だったりしますが、中国国内は陸続きでどのお茶でも手に入りますね。
台湾は小さな島国でありながら高低差が0地点から高山の3,000m級の山まであるので、その高低差を利用してお茶が生産できます。茶葉は育った環境によって風味に違いが出てくるし、その茶葉を烏龍茶にすれば幅が更に広がります。烏龍茶は、発酵焙煎の強いものから緑茶の緑に近いような烏龍茶まであります。わかりやすく言えば、台湾の烏龍茶の風味を指で数えたとしたら1~10の味わいがあって楽しめます。緑茶の場合だと1~3程度になります。なので、台湾の烏龍茶はバラエティ豊かで面白いと思います。
-ごさまるお-
上原さんのお話を伺っていると、益々「お茶」に興味が湧いてきました(*´▽`*)
また、上原さんの淹れてくれるお茶とお茶請けをお目当てに「一葉」に来ますね
最後に、上原さんにとって「お茶」とは何か教えてください
-美智代さん-
私にとってお茶とは、「その日の気分によって選べるバラエティ豊かで楽しめるもの」ですね
中国では茶館といってお茶を飲める場所があるんですが、そこへ行けば話が弾み皆仲良くなれるという文化があります。
まさに中国の四字熟語にある「以茶会友」を表していると思います
-ごさまるお-
いい言葉ですね
今日は、お茶を飲みながらお話ししたせいか、気持ちがホンワカいい気分です
また、楽しいお話を聞かせてくださいね~。
美味しいお茶と茶請けのマントウもごちそうさまでした
※掲載写真の一部はブログ「一葉」から抜粋しました。
2013年 10/16~、2015年 5月~のブログをご覧になると詳細がわかります
Interviewee:上原美智代
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Writer:ごさまるお・ちゅら子
Proofreader:プー子
2020年08月31日
CFP vol.46 喜納鉄也さん
まくとぅーそーけー なんくるないさー(一期一会に・出会いに感謝!)
今回は、南米の旅を35歳までに果たしたいという那覇市出身の喜納鉄也さんをご紹介します。
喜納さんが海外で経験したこと、出会った人々との交流、海外で生活するにあたって支えてくれた方々とのエピソードを伺いました
ブログを読んで、世界に目を向けるきっかけになれば嬉しいです
-ムム-
早速ですが...
海外へ興味をもつようになったきっかけを教えてください
-喜納さん-
高校卒業後、県外の大学へいきました。
そこで、沖縄のことをよく質問をされたんですね。
「沖縄の見どころはどういう所」とか。
質問されて初めて「沖縄の歴史、伝統、文化、芸能、自然」何も知らなかったんだなぁ、と気付いたんです。
海が綺麗なのは当たり前だと思っていましたが…県外ではそうではなかったんですね。
それからです。沖縄を離れて沖縄のことを考えるようになりました。
国外にでたら、もっと色んなことが学べて、色んな経験ができるんじゃないかな
沖縄のことをもっと理解できるようになるんじゃないかなって思ったんで、海外へ興味をもつようになりました。
-ムム-
海外はどちらへ行かれたのですか
-喜納さん-
アメリカ、タイ、バングラデシュ、マダガスカル、韓国、ブラジルです。
姉がアメリカへ留学していたので、高校生の頃にアメリカへ行きましたが、その頃は、特に沖縄のことは考えていませんでしたね。
あ、タイは大学生の頃に行ったバングラディシュへの経由地として数日間滞在しました。
-ムム-
バングラデシュですか
国名は聞いたことありますが、どんな所なのか想像がつかないですね
バングラデシュへは何をしに行かれたんですか
-喜名さん-
アイキャンプという白内障の手術をボランティアで行うプロジェクトがありまして、叔母の紹介で参加させていただきました
-ムム-
具体的にどのようなことをしたのですか
-喜納さん-
そのプロジェクトは、日本から2人のドクターが赴き、現地のドクターと一緒になって白内障治療に従事するのですが、僕は手術前の準備をしたり、清掃をしたり、覚えたてのベンガル語で声をかけながら目薬を差したりしていました
-ムム-
普通って言ったらおかしいですが、バングラデシュに行って目薬を差す機会なんてないですよね
-喜納さん-
そうですよね(笑)
-ムム-
バングラデシュの生活の中で、合わなかった食事とか、逆にこれ美味しかったという食べ物はありますか
-喜納さん-
食事に関してはまったく問題なし。全部美味しかったです
チャパティというナンみたいなものをカレーにつけて食べるのですが、カレーといっても豆カレーなど色んな種類があって、手で食べるんです。
-ムム-
ほ~
食べ物が美味しいと生活も楽しくなりますよね
食事以外の面はいかがでしたか
-喜納さん-
シャワーは気になりましたね・・・
ちょっと溝っぽいというか、消毒されていないような臭いがしました。
バングラデシュでは、なかなか体験出来ないことをさせていただたので、この経験がさらに海外へ目を向ける転換点になったと思います
また、大学の先輩がJICAに携わっていたので、色々話を聞いてチャレンジしてみたくなったんですね。
-ムム-
それで、マダガスカルへ行かれたんですね
治安的にも心配な点はあったと思いますが、マダガスカルへ行くにあたってどなたかに相談しましたか
-喜納さん-
留学経験のある叔父さんにJICAの一員としてマダガスカルへ行きたいと相談したら、「若い時にチャレンジした方がいい!」と背中を押してくれました
-ムム-
マダガスカルはどんなところでしたか
印象に残ったエピソードなどがお聞きしたいです。
-喜納さん-
マダガスカルは自然が豊かで島固有の動物がたくさんいる素敵なところでした
印象に残ったというか...生活していて大変だったことはありましたね
住血吸虫という病気にかかってしまいまして
川に生息する寄生虫が僕の皮膚に入ってきたようで、下痢、嘔吐、発熱が続いて非常に辛い経験をしました。そんな時、いつもJICAの職員をサポートしてくれるマリアさんという現地の方が看病してくれて助かりました。
現地に日本人は僕しかいなかったので頼れる人がいなくて不安でしたが、マリアさんが食事を作ってくれたので有り難かったです。
-ムム-
マリアさんがいなかったら...って考えると、恐ろしいですね
ちなみに、マダガスカルにはどのくらいの期間いたのですか
-喜納さん-
2年間いました。
その間、子どもたちと沢山遊びましたよ、楽しかったですね
-ムム-
めっちゃ、楽しそうですね~
-ムム-
他にもブラジルへ行かれていますね
-喜納さん-
はい
僕の親戚がブラジルへ移民したこともあって、2世にあたる叔父さん(父の従弟)に会いに行きました。
-ムム-
遠路遥々、沖縄から会いに来てくれて叔父さんも喜んでいたのではないですか
-喜納さん-
そうですね
叔父さんは生前の父がブラジルに来ていた頃の話しをしてくれました。
実は僕は父を早くに亡くしているので、僕が知らない父の一面を知る事ができて嬉しかったです
父は、僕のお祖母ちゃんをその兄弟(お祖母ちゃんの兄弟)に会わせるためにブラジルへ連れて行ったそうで、当時の様子を叔父さんから聞きました。
叔父さんが言うには、父は真面目で豪快な人だったそうです
-ムム-
お父さんがブラジルへ行った頃はまだ、結婚されていなかった
-喜納さん-
まだしてないです。なので、僕も生まれていないですね。
父のことを話してくれた叔父さんも2年前に亡くなってしまいました。
なので、今年の6月にはお世話になった叔父さんの墓参りに行って、その後、ウルグアイ、アルゼンチン、チリへ移動して、少しずつ北上しながら南米を旅しようと計画していましたが、結局コロナで行けなくなってしまいました
-ムム-
それは残念でしたね
喜名さんの親戚がブラジルへ移民したことに関連して、教えてほしいのですが...
ブラジル移民のウチナーンチュは、当時生活環境が厳しくて、ジャングルを開拓するところから始めたと聞いています。
親戚の方も苦労したのでは?と想像しますがいかがでしょうか?
-喜納さん-
とても苦労したと思います。
1世、2世、3世と違う苦しみがあって、1世は開拓する苦しさ、そしてマラリアで沢山の人が命を落としました。
2世は戦後、同じ東洋人ということで迫害をされた時期がありました。
その時代時代で苦労があったようです。
だからこそ、自分のルーツと家族を大事にしますし、沖縄の文化を忘れないように文字にして書き記し伝記として本にしています。
-ムム-
ブラジルに移民したウチナーンチュが沖縄の文化を大切に思うように、喜名さんも海外へ行ってより見聞を広げて沖縄のことを考えてきたいとのことですが、今後の目標があれば教えてください
-喜納さん-
35歳までに、もう一度ブラジルへ行きたいです
最近はネットで国名を検索するとすぐに動画を見ることができますよね。
それでも、僕自身がマダガスカルへ行ったときに感じたことですが、その場所に直接赴き、自分の目で見て、その土地の自然や文化、人々に触れることはすごく大事だなことだと思うんです。
将来的には教育に携わる仕事に就きたいと思っているので、その時は、自分が実際に見て感じたことや経験したことを子どもたちに伝えることができたらなぁと思っています。
-ムム-
喜名さんの話を伺って感じたことは、誰かが声をかけてくれたことに対してチャレンジしてきたから次へ繋がるんだなーと思いました。
南米への旅が実現したら、また、お話を聞かせてくださいね。
Interviewee:喜納鉄也
Interviewer:ムム・ちゅら子・ごさまるお
Writer:ちゅら子
Proofreader:プー子
今回は、南米の旅を35歳までに果たしたいという那覇市出身の喜納鉄也さんをご紹介します。
喜納さんが海外で経験したこと、出会った人々との交流、海外で生活するにあたって支えてくれた方々とのエピソードを伺いました
ブログを読んで、世界に目を向けるきっかけになれば嬉しいです
-ムム-
早速ですが...
海外へ興味をもつようになったきっかけを教えてください
-喜納さん-
高校卒業後、県外の大学へいきました。
そこで、沖縄のことをよく質問をされたんですね。
「沖縄の見どころはどういう所」とか。
質問されて初めて「沖縄の歴史、伝統、文化、芸能、自然」何も知らなかったんだなぁ、と気付いたんです。
海が綺麗なのは当たり前だと思っていましたが…県外ではそうではなかったんですね。
それからです。沖縄を離れて沖縄のことを考えるようになりました。
国外にでたら、もっと色んなことが学べて、色んな経験ができるんじゃないかな
沖縄のことをもっと理解できるようになるんじゃないかなって思ったんで、海外へ興味をもつようになりました。
-ムム-
海外はどちらへ行かれたのですか
-喜納さん-
アメリカ、タイ、バングラデシュ、マダガスカル、韓国、ブラジルです。
姉がアメリカへ留学していたので、高校生の頃にアメリカへ行きましたが、その頃は、特に沖縄のことは考えていませんでしたね。
あ、タイは大学生の頃に行ったバングラディシュへの経由地として数日間滞在しました。
-ムム-
バングラデシュですか
国名は聞いたことありますが、どんな所なのか想像がつかないですね
バングラデシュへは何をしに行かれたんですか
-喜名さん-
アイキャンプという白内障の手術をボランティアで行うプロジェクトがありまして、叔母の紹介で参加させていただきました
-ムム-
具体的にどのようなことをしたのですか
-喜納さん-
そのプロジェクトは、日本から2人のドクターが赴き、現地のドクターと一緒になって白内障治療に従事するのですが、僕は手術前の準備をしたり、清掃をしたり、覚えたてのベンガル語で声をかけながら目薬を差したりしていました
-ムム-
普通って言ったらおかしいですが、バングラデシュに行って目薬を差す機会なんてないですよね
-喜納さん-
そうですよね(笑)
-ムム-
バングラデシュの生活の中で、合わなかった食事とか、逆にこれ美味しかったという食べ物はありますか
-喜納さん-
食事に関してはまったく問題なし。全部美味しかったです
チャパティというナンみたいなものをカレーにつけて食べるのですが、カレーといっても豆カレーなど色んな種類があって、手で食べるんです。
-ムム-
ほ~
食べ物が美味しいと生活も楽しくなりますよね
食事以外の面はいかがでしたか
-喜納さん-
シャワーは気になりましたね・・・
ちょっと溝っぽいというか、消毒されていないような臭いがしました。
バングラデシュでは、なかなか体験出来ないことをさせていただたので、この経験がさらに海外へ目を向ける転換点になったと思います
また、大学の先輩がJICAに携わっていたので、色々話を聞いてチャレンジしてみたくなったんですね。
-ムム-
それで、マダガスカルへ行かれたんですね
治安的にも心配な点はあったと思いますが、マダガスカルへ行くにあたってどなたかに相談しましたか
-喜納さん-
留学経験のある叔父さんにJICAの一員としてマダガスカルへ行きたいと相談したら、「若い時にチャレンジした方がいい!」と背中を押してくれました
-ムム-
マダガスカルはどんなところでしたか
印象に残ったエピソードなどがお聞きしたいです。
-喜納さん-
マダガスカルは自然が豊かで島固有の動物がたくさんいる素敵なところでした
印象に残ったというか...生活していて大変だったことはありましたね
住血吸虫という病気にかかってしまいまして
川に生息する寄生虫が僕の皮膚に入ってきたようで、下痢、嘔吐、発熱が続いて非常に辛い経験をしました。そんな時、いつもJICAの職員をサポートしてくれるマリアさんという現地の方が看病してくれて助かりました。
現地に日本人は僕しかいなかったので頼れる人がいなくて不安でしたが、マリアさんが食事を作ってくれたので有り難かったです。
-ムム-
マリアさんがいなかったら...って考えると、恐ろしいですね
ちなみに、マダガスカルにはどのくらいの期間いたのですか
-喜納さん-
2年間いました。
その間、子どもたちと沢山遊びましたよ、楽しかったですね
-ムム-
めっちゃ、楽しそうですね~
-ムム-
他にもブラジルへ行かれていますね
-喜納さん-
はい
僕の親戚がブラジルへ移民したこともあって、2世にあたる叔父さん(父の従弟)に会いに行きました。
-ムム-
遠路遥々、沖縄から会いに来てくれて叔父さんも喜んでいたのではないですか
-喜納さん-
そうですね
叔父さんは生前の父がブラジルに来ていた頃の話しをしてくれました。
実は僕は父を早くに亡くしているので、僕が知らない父の一面を知る事ができて嬉しかったです
父は、僕のお祖母ちゃんをその兄弟(お祖母ちゃんの兄弟)に会わせるためにブラジルへ連れて行ったそうで、当時の様子を叔父さんから聞きました。
叔父さんが言うには、父は真面目で豪快な人だったそうです
-ムム-
お父さんがブラジルへ行った頃はまだ、結婚されていなかった
-喜納さん-
まだしてないです。なので、僕も生まれていないですね。
父のことを話してくれた叔父さんも2年前に亡くなってしまいました。
なので、今年の6月にはお世話になった叔父さんの墓参りに行って、その後、ウルグアイ、アルゼンチン、チリへ移動して、少しずつ北上しながら南米を旅しようと計画していましたが、結局コロナで行けなくなってしまいました
-ムム-
それは残念でしたね
喜名さんの親戚がブラジルへ移民したことに関連して、教えてほしいのですが...
ブラジル移民のウチナーンチュは、当時生活環境が厳しくて、ジャングルを開拓するところから始めたと聞いています。
親戚の方も苦労したのでは?と想像しますがいかがでしょうか?
-喜納さん-
とても苦労したと思います。
1世、2世、3世と違う苦しみがあって、1世は開拓する苦しさ、そしてマラリアで沢山の人が命を落としました。
2世は戦後、同じ東洋人ということで迫害をされた時期がありました。
その時代時代で苦労があったようです。
だからこそ、自分のルーツと家族を大事にしますし、沖縄の文化を忘れないように文字にして書き記し伝記として本にしています。
-ムム-
ブラジルに移民したウチナーンチュが沖縄の文化を大切に思うように、喜名さんも海外へ行ってより見聞を広げて沖縄のことを考えてきたいとのことですが、今後の目標があれば教えてください
-喜納さん-
35歳までに、もう一度ブラジルへ行きたいです
最近はネットで国名を検索するとすぐに動画を見ることができますよね。
それでも、僕自身がマダガスカルへ行ったときに感じたことですが、その場所に直接赴き、自分の目で見て、その土地の自然や文化、人々に触れることはすごく大事だなことだと思うんです。
将来的には教育に携わる仕事に就きたいと思っているので、その時は、自分が実際に見て感じたことや経験したことを子どもたちに伝えることができたらなぁと思っています。
-ムム-
喜名さんの話を伺って感じたことは、誰かが声をかけてくれたことに対してチャレンジしてきたから次へ繋がるんだなーと思いました。
南米への旅が実現したら、また、お話を聞かせてくださいね。
Interviewee:喜納鉄也
Interviewer:ムム・ちゅら子・ごさまるお
Writer:ちゅら子
Proofreader:プー子
2020年07月30日
CFP vol.45 チャン・リナさん
チャンリナさんを紹介するのは今回で3回目となります(*´▽`*)
「CFP vol.20(2018年5月19日)」https://cfp.ti-da.net/e10495259.html
「CFP vol.30(2019年4月27日)」https://cfp.ti-da.net/e11076032.html
も掲載していますので、ぜひ、読んでもらえると嬉しいです
毎年春になると、体力づくりや陸上競技練習のために沖縄を訪れるリナさん。
プロゴルファーやタレントとしても活躍されていますが、現在はその活動をお休みして、陸上一本に集中しています。
そんなリナさんとユンタク(おしゃべり)してきましたので、そのときの様子をアップします!
(インタビューは2020年4月)
−リナさん−
この時期に真っ先に暖かくなる沖縄にやってきましたよ~
−ちゅら子−
めんそーれー
リナさんを初めて取材したのは2年前でしたね
−リナさん−
そうですね
私が陸上を始めたのが...4年前なので、今年38歳を迎えましたよ!
−ちゅら子−
おっおめでとうございます
ということは、34歳から陸上を始めたんですね。
スポーツの世界って年齢=体力というイメージがあったので、はじめてリナさんのお話を伺ったときは驚きました
ブレずにやりたいことに挑戦する!有言実行のリナさんを見てきて、私を含めリナさんを応援してきた皆さんには良い刺激になっていると思います
リナさんが陸上を始めた当初って、短距離走と400mリレーの選手でしたよね
-リナさん-
はい
故郷カンボジアの選手たちと「400mリレー選手」としてアジア大会に出場したときは気持ちよかったですね~
このまま短距離走やリレー選手として続けていくことも考えたのですが、どうしてもハードルを跳んでみたいという気持ちになっちゃって(笑)今は、東京オリンピックでハードル走の選手として出場することを目標にトレーニングに励んでいます
-ちゅら子-
短距離走からハードル走への転向には驚きました
トレーニングの様子を見せていただきましたが、とてもハードですよね
なぜ、ここまで頑張れるのですか
−リナさん−
以前、インタビューでもお話させていただきましたが、カンボジアのために何かできないか!と考えたことがあって。
元々ゴルフをしていたので、カンボジアの皆にもゴルフや陸上、色んなスポーツを楽しんでもらいたいという気持ちがありました。特に陸上はスポーツをする上で基本だと思うので、それをカンボジアで広げていきたいですね
−ちゅら子−
故郷にどう貢献しようか考えた結果が今に繋がる、ということですね
リナさんが日本でタレントとしてTV番組やラジオ番組に出演された際には、必ずカンボジアのお話をされていますね。
前回のインタビューで東京オリンピックを目指すことについても、「カンボジアの子どもたちに私の背中を見てほしい!」とおっしゃっていましたね。辛いことも多々あったかと思いますがいかがですか
−リナさん−
辛いことだらけでした
特に、2019年は私が生きてきた中で最も辛い年でした
ハードルの練習時に右足の前十字靭帯が断裂してしまったんです。
お医者さんから、「陸上を続けるなら手術をしないと復帰はできない」と言われ手術しました。
長いリハビリと筋トレの年でしたね。
術後はトレーニングしたくてもできない焦りや不安との闘いでした。
−ちゅら子−
怪我の後遺症や続けることでさらに悪化しないか、心配だと思うのですが...。
−リナさん−
主治医には、「リハビリと年齢との闘いだよ」と言われました。
医療関係者の皆さんや病室で出会った人達、トレーナーの言葉に救われました
何と言っても、カンボジアの子どもたちのことを考えると、何が何でも復帰したいという気持ちになりました。
東南アジア大会の出場も決まっていたので、ハードルを跳ぶ際には、右足着地(リード足)ではなく左足で着地しようって決めてたんです
国際大会では記録を出さないとオリンピックの選考にも入れなくなっちゃうんですけど、これでゴールできなかったら記録にもならないし、まずはハードル10台をしっかり飛び越えてゴールすることを目標に頑張ろうと思いました。
実際に東南アジア大会に出場して、ゴールが見えた瞬間は安心してしまい、手術した右足がハードルに当たるというハプニングもありましたが、転倒せずにゴールできました
−ちゅら子−
おおおおお〜!よかった(涙)
動画で走る姿観ましたよ!かっこよかったです
−リナさん−
ありがとうございます
実は、左足着地はトレーニング途中だし、手を上げるのも逆になったので、コーチたちは私がスタートしてすぐに転倒してゴールできないと思っていたらしいんです(笑)
とにかく私はゴールを目指す
実際は、記録を狙うにはハードル間を3、4歩で走らなければなりせませんが、無事ゴールするためには、例え歩数が5歩となっても左足から着地しなければなりません
万が一、怪我した右足で着地をしたらお終いですからね
他の選手が自分より先にハードルを飛び越えても、走り切る!恥ずかしいことじゃない!と思って走り抜きました。
だって、走りきらないと次の目標にいけませんから
−ちゅら子−
これまでのお話を聞くと、全国一暖かくなるのが早い沖縄でのトレーニングは、すごく大切なんじゃないかなぁと思っちゃいますね。
カンボジアも沖縄と似たような気候ですよね
カンボジアと言えば、遺跡のイメージが強いですが、実際はどんな国なんですか
−リナさん−
カンボジアは、人も気候も沖縄と似ていますよ(笑)
カンボジアを一言で言うと...
「kingdom of Wonder Cambodia」です
−ちゅら子−
どういう意味ですか
−リナさん−
不思議王国という意味です(笑)
いい意味で人々は懐っこくて面倒見がよく協力的です。
例えば、火事になると普通は消防を呼ぶじゃないですか
カンボジアの人たちは、近所の人たちが集まってバケツに砂や水を入れ一斉に火を消します。
家を引っ越しするときも面白いですよ。
親族とか近所の皆が「せーの!」で家を持ち上げて、家の下にローラーを入れコロコロコロ〜って運びます(笑)高床式なので運べるんですよ(笑)
−ちゅら子−
面白そうですね~
沖縄も私の祖父母の時代は、ご近所とのやり取りが頻繁にあって、ゆいまーる(助け合い)精神が強かったようです。
そういえば、沖縄出身のお医者さんがカンボジアの医療に貢献しているという記事を読んだことがあります。
リナさん、ご存知ですか?
-リナさん-
そうなんですね
-ちゅら子-
カンボジアでは、小児ガンを患っている子どもたちが年間600万人もいるそうです。
医療施設が少ないということで、沖縄出身の女性医師がカンボジアの医師に医療技術を伝えてるそうですよ〜!
-リナさん-
カンボジアはとても親日家です。
わたしの生まれたコンポンチャム州の近くには、「きずな橋」と言って、日本人がつくってくれた橋があります
その証拠にカンボジアのお札(500リエル)には、きずな橋と日本&カンボジアの国旗が印刷されていますよ。
−ちゅら子−
ほー!いつか、カンボジアに行ってみたいです(*´▽`*)
リナさんはこれからも目標に向かって頑張っていくと思いますが、具体的に計画されていることはありますか?
−リナさん−
東京オリンピックを目途に陸上選手は引退します。
引退後はカンボジアで自分の経験が活かせたらと思っています。
実は、カンボジアで体育の授業やスポーツを普及させているのは日本人なんです。
なので、カンボジア人である私が先駆者として日本で教わったことをやって見せて、カンボジアの人たちにスポーツをやってみたい!と思ってもらえるような道標になりたいと思っています。
−ちゅら子−
大怪我をしても持ち前の精神で乗り越え、リハビリにも耐え、現在も選手として大きな舞台を目指しているリナさん
常にカンボジアの未来に思いを寄せているのですね。
−リナさん−
これまでを振り返ってみると、私のターニングポイントは沖縄にあるんですよ!
悩んだとき、迷ったときは沖縄に行きます。
沖縄に行って沖縄の人たちからパワーをもらって、また本土で頑張って、カンボジアへ行ってという感じです
今は東京オリンピック出場を目指しています。
繰り返しになりますが、引退後はカンボジアの子どもたちへ陸上を教えるため、指導者としての勉強をしていきたいと思います。
怪我を乗り越えてきたからこそ、怪我をしない体づくり、トレーニングや、怪我をしてしまった選手の気持ちを理解できるような指導者になりたいですね(*´▽`*)
−ちゅら子―
リナさんの活躍を楽しみに沖縄から応援しています!
また遊びに来てくださいね〜♪
Interviewee:チャン・リナ
Interviewer:ちゅら子・ごさまるお
Writer:お紅
Proofreader:プー子
「CFP vol.20(2018年5月19日)」https://cfp.ti-da.net/e10495259.html
「CFP vol.30(2019年4月27日)」https://cfp.ti-da.net/e11076032.html
も掲載していますので、ぜひ、読んでもらえると嬉しいです
毎年春になると、体力づくりや陸上競技練習のために沖縄を訪れるリナさん。
プロゴルファーやタレントとしても活躍されていますが、現在はその活動をお休みして、陸上一本に集中しています。
そんなリナさんとユンタク(おしゃべり)してきましたので、そのときの様子をアップします!
(インタビューは2020年4月)
−リナさん−
この時期に真っ先に暖かくなる沖縄にやってきましたよ~
−ちゅら子−
めんそーれー
リナさんを初めて取材したのは2年前でしたね
−リナさん−
そうですね
私が陸上を始めたのが...4年前なので、今年38歳を迎えましたよ!
−ちゅら子−
おっおめでとうございます
ということは、34歳から陸上を始めたんですね。
スポーツの世界って年齢=体力というイメージがあったので、はじめてリナさんのお話を伺ったときは驚きました
ブレずにやりたいことに挑戦する!有言実行のリナさんを見てきて、私を含めリナさんを応援してきた皆さんには良い刺激になっていると思います
リナさんが陸上を始めた当初って、短距離走と400mリレーの選手でしたよね
-リナさん-
はい
故郷カンボジアの選手たちと「400mリレー選手」としてアジア大会に出場したときは気持ちよかったですね~
このまま短距離走やリレー選手として続けていくことも考えたのですが、どうしてもハードルを跳んでみたいという気持ちになっちゃって(笑)今は、東京オリンピックでハードル走の選手として出場することを目標にトレーニングに励んでいます
-ちゅら子-
短距離走からハードル走への転向には驚きました
トレーニングの様子を見せていただきましたが、とてもハードですよね
なぜ、ここまで頑張れるのですか
−リナさん−
以前、インタビューでもお話させていただきましたが、カンボジアのために何かできないか!と考えたことがあって。
元々ゴルフをしていたので、カンボジアの皆にもゴルフや陸上、色んなスポーツを楽しんでもらいたいという気持ちがありました。特に陸上はスポーツをする上で基本だと思うので、それをカンボジアで広げていきたいですね
−ちゅら子−
故郷にどう貢献しようか考えた結果が今に繋がる、ということですね
リナさんが日本でタレントとしてTV番組やラジオ番組に出演された際には、必ずカンボジアのお話をされていますね。
前回のインタビューで東京オリンピックを目指すことについても、「カンボジアの子どもたちに私の背中を見てほしい!」とおっしゃっていましたね。辛いことも多々あったかと思いますがいかがですか
−リナさん−
辛いことだらけでした
特に、2019年は私が生きてきた中で最も辛い年でした
ハードルの練習時に右足の前十字靭帯が断裂してしまったんです。
お医者さんから、「陸上を続けるなら手術をしないと復帰はできない」と言われ手術しました。
長いリハビリと筋トレの年でしたね。
術後はトレーニングしたくてもできない焦りや不安との闘いでした。
−ちゅら子−
怪我の後遺症や続けることでさらに悪化しないか、心配だと思うのですが...。
−リナさん−
主治医には、「リハビリと年齢との闘いだよ」と言われました。
医療関係者の皆さんや病室で出会った人達、トレーナーの言葉に救われました
何と言っても、カンボジアの子どもたちのことを考えると、何が何でも復帰したいという気持ちになりました。
東南アジア大会の出場も決まっていたので、ハードルを跳ぶ際には、右足着地(リード足)ではなく左足で着地しようって決めてたんです
国際大会では記録を出さないとオリンピックの選考にも入れなくなっちゃうんですけど、これでゴールできなかったら記録にもならないし、まずはハードル10台をしっかり飛び越えてゴールすることを目標に頑張ろうと思いました。
実際に東南アジア大会に出場して、ゴールが見えた瞬間は安心してしまい、手術した右足がハードルに当たるというハプニングもありましたが、転倒せずにゴールできました
−ちゅら子−
おおおおお〜!よかった(涙)
動画で走る姿観ましたよ!かっこよかったです
−リナさん−
ありがとうございます
実は、左足着地はトレーニング途中だし、手を上げるのも逆になったので、コーチたちは私がスタートしてすぐに転倒してゴールできないと思っていたらしいんです(笑)
とにかく私はゴールを目指す
実際は、記録を狙うにはハードル間を3、4歩で走らなければなりせませんが、無事ゴールするためには、例え歩数が5歩となっても左足から着地しなければなりません
万が一、怪我した右足で着地をしたらお終いですからね
他の選手が自分より先にハードルを飛び越えても、走り切る!恥ずかしいことじゃない!と思って走り抜きました。
だって、走りきらないと次の目標にいけませんから
−ちゅら子−
これまでのお話を聞くと、全国一暖かくなるのが早い沖縄でのトレーニングは、すごく大切なんじゃないかなぁと思っちゃいますね。
カンボジアも沖縄と似たような気候ですよね
カンボジアと言えば、遺跡のイメージが強いですが、実際はどんな国なんですか
−リナさん−
カンボジアは、人も気候も沖縄と似ていますよ(笑)
カンボジアを一言で言うと...
「kingdom of Wonder Cambodia」です
−ちゅら子−
どういう意味ですか
−リナさん−
不思議王国という意味です(笑)
いい意味で人々は懐っこくて面倒見がよく協力的です。
例えば、火事になると普通は消防を呼ぶじゃないですか
カンボジアの人たちは、近所の人たちが集まってバケツに砂や水を入れ一斉に火を消します。
家を引っ越しするときも面白いですよ。
親族とか近所の皆が「せーの!」で家を持ち上げて、家の下にローラーを入れコロコロコロ〜って運びます(笑)高床式なので運べるんですよ(笑)
−ちゅら子−
面白そうですね~
沖縄も私の祖父母の時代は、ご近所とのやり取りが頻繁にあって、ゆいまーる(助け合い)精神が強かったようです。
そういえば、沖縄出身のお医者さんがカンボジアの医療に貢献しているという記事を読んだことがあります。
リナさん、ご存知ですか?
-リナさん-
そうなんですね
-ちゅら子-
カンボジアでは、小児ガンを患っている子どもたちが年間600万人もいるそうです。
医療施設が少ないということで、沖縄出身の女性医師がカンボジアの医師に医療技術を伝えてるそうですよ〜!
-リナさん-
カンボジアはとても親日家です。
わたしの生まれたコンポンチャム州の近くには、「きずな橋」と言って、日本人がつくってくれた橋があります
その証拠にカンボジアのお札(500リエル)には、きずな橋と日本&カンボジアの国旗が印刷されていますよ。
−ちゅら子−
ほー!いつか、カンボジアに行ってみたいです(*´▽`*)
リナさんはこれからも目標に向かって頑張っていくと思いますが、具体的に計画されていることはありますか?
−リナさん−
東京オリンピックを目途に陸上選手は引退します。
引退後はカンボジアで自分の経験が活かせたらと思っています。
実は、カンボジアで体育の授業やスポーツを普及させているのは日本人なんです。
なので、カンボジア人である私が先駆者として日本で教わったことをやって見せて、カンボジアの人たちにスポーツをやってみたい!と思ってもらえるような道標になりたいと思っています。
−ちゅら子−
大怪我をしても持ち前の精神で乗り越え、リハビリにも耐え、現在も選手として大きな舞台を目指しているリナさん
常にカンボジアの未来に思いを寄せているのですね。
−リナさん−
これまでを振り返ってみると、私のターニングポイントは沖縄にあるんですよ!
悩んだとき、迷ったときは沖縄に行きます。
沖縄に行って沖縄の人たちからパワーをもらって、また本土で頑張って、カンボジアへ行ってという感じです
今は東京オリンピック出場を目指しています。
繰り返しになりますが、引退後はカンボジアの子どもたちへ陸上を教えるため、指導者としての勉強をしていきたいと思います。
怪我を乗り越えてきたからこそ、怪我をしない体づくり、トレーニングや、怪我をしてしまった選手の気持ちを理解できるような指導者になりたいですね(*´▽`*)
−ちゅら子―
リナさんの活躍を楽しみに沖縄から応援しています!
また遊びに来てくださいね〜♪
Interviewee:チャン・リナ
Interviewer:ちゅら子・ごさまるお
Writer:お紅
Proofreader:プー子
2020年06月26日
CFP vol.44 河原圭佑さん
皆さん「彫刻」というとどんなものを思い浮かべますか?
「木を彫る」?「石を削る」?「粘土で形をつくる」?
現在沖縄を拠点に「金属」で彫刻を制作し、国内外で発表されているのが
✨河原圭佑さん✨
沖縄にゆかりのある様々なモチーフが印象的です
普段は沖縄県立芸術大学で講師を務められ、学生への指導や研究、発表をされています。
北タイチェンマイで制作した作品と河原さん
今回は、そんな河原さんが、2019年12月に中国は長春で行われた「国際氷雪彫刻シンポジウム」に参加した様子やタイで出会った人々との交流を中心に紹介していきます
-ごさまるお-
早速ですが、長春での国際氷雪シンポジウムに参加されたきっかけは何だったのでしょうか
-河原さん-
沖縄県立芸術大学大学院を卒業した于(ウ)さんが、現在、哈爾濱(ハルビン)師範大学の教授をされていて、于さんから「沖縄県立芸術大学とハルビン師範大学とでコラボ作品を造りたい」とお声かけいただいたのがきっかけです。
-ごさまるお-
海外から呼ばれて彫刻を造ることがあるんですね
普段は金属を素材として扱っているそうですが、氷の彫刻ですか
-河原さん-
はい
国際交流の一貫として海外で制作する機会をいただけたのは、ありがたいことです。
氷で彫刻作品を造るのは初めてですよ❆
氷を運ぶ現地のスタッフ
-ごさまるお-
氷の彫刻は何を造られたんですか
-河原さん-
2020年の干支「ねずみ」の家族(4匹)を作りました
一匹のねずみが160cmくらいあります
僕が沖縄から参加していたこともあって、当初はねずみの背後に首里城を作っていましたが、制作日数が足りないということでチーズの形をした家になりました(笑)
-ごさまるお-
氷って硬いイメージがありますが彫れるものなんですね
-河原さん-
氷を彫る道具が独特で、バリカンの柄の部分のようなギザギザした特殊なノミで削っていきます
Interviewee:河原圭佑
Interviewer:ちゅら子・ごさまるお
Writer:まりりん
Proofreader:プー子
「木を彫る」?「石を削る」?「粘土で形をつくる」?
現在沖縄を拠点に「金属」で彫刻を制作し、国内外で発表されているのが
✨河原圭佑さん✨
沖縄にゆかりのある様々なモチーフが印象的です
普段は沖縄県立芸術大学で講師を務められ、学生への指導や研究、発表をされています。
北タイチェンマイで制作した作品と河原さん
今回は、そんな河原さんが、2019年12月に中国は長春で行われた「国際氷雪彫刻シンポジウム」に参加した様子やタイで出会った人々との交流を中心に紹介していきます
-ごさまるお-
早速ですが、長春での国際氷雪シンポジウムに参加されたきっかけは何だったのでしょうか
-河原さん-
沖縄県立芸術大学大学院を卒業した于(ウ)さんが、現在、哈爾濱(ハルビン)師範大学の教授をされていて、于さんから「沖縄県立芸術大学とハルビン師範大学とでコラボ作品を造りたい」とお声かけいただいたのがきっかけです。
-ごさまるお-
海外から呼ばれて彫刻を造ることがあるんですね
普段は金属を素材として扱っているそうですが、氷の彫刻ですか
-河原さん-
はい
国際交流の一貫として海外で制作する機会をいただけたのは、ありがたいことです。
氷で彫刻作品を造るのは初めてですよ❆
氷を運ぶ現地のスタッフ
-ごさまるお-
氷の彫刻は何を造られたんですか
-河原さん-
2020年の干支「ねずみ」の家族(4匹)を作りました
一匹のねずみが160cmくらいあります
僕が沖縄から参加していたこともあって、当初はねずみの背後に首里城を作っていましたが、制作日数が足りないということでチーズの形をした家になりました(笑)
-ごさまるお-
氷って硬いイメージがありますが彫れるものなんですね
-河原さん-
氷を彫る道具が独特で、バリカンの柄の部分のようなギザギザした特殊なノミで削っていきます
意外と柔らかくて、サクサク彫れるので、彫っていてとても気持ちいいですよ
ねずみの爪やしっぽなどの細かい部分は水を使います。
-21℃の極寒なので、水が冷えて接着剤の代わりになるんですね。
一度水が足りなくなって50m先の公共施設の水道水を汲みに行ったら・・・
50m戻ってくる間に凍っていました衝撃でしたね~
-ごさまるお-
マ、マイナス21℃ですか極寒の地ならではですね!
世界各地から参加したアーティスの方々と交流していかがでしたか
-河原さん-
国民性がでているなーと感じました
ねずみの爪やしっぽなどの細かい部分は水を使います。
-21℃の極寒なので、水が冷えて接着剤の代わりになるんですね。
一度水が足りなくなって50m先の公共施設の水道水を汲みに行ったら・・・
50m戻ってくる間に凍っていました衝撃でしたね~
-ごさまるお-
マ、マイナス21℃ですか極寒の地ならではですね!
世界各地から参加したアーティスの方々と交流していかがでしたか
-河原さん-
国民性がでているなーと感じました
フランス、イタリア、アメリカ、カナダ、ロシア。
アジアは中国、台湾、モンゴル、タイ、マレーシア、そして韓国の方もいらっしゃいました。
やっぱり雪国ロシアは上手でしたね
あと、フランスも慣れているなぁと感じました。
4名~6名で1チームとなって作業するのですが、休憩の取り方も様々でした。
フランス人はポットを持参して、15時には必ずティーを飲んでいました。
あとタイのチームは音楽をかけながら作業していましたね。「ドゥンドゥン」と響いていましたよ
5年ほど前にタイに住んでいたので、懐かしいなと思いました。
-ごさまるお-
タイに住んでいたということは、タイの方達とはタイ語でコミュニケーションをとられたんですか
-河原さん-
はい。
タイから来た作家さんがタイ語で声をかけてくれました
とても親近感が湧いてその方たちとも友達になりました
-ごさまるお-
滞在期間中、困ったことはありましたか
-河原さん-
そうですね・・・。
食堂で並んでいたときに、食堂のおばちゃんに食券を渡したんですが、丁度そのタイミングで別のおばちゃんと交代してしまって、「食券をもらっていない!」と言われ困りました
身振り手振りで伝えましたが、なかなか伝わらなくて
後ろに並んでいたモンゴル人が見かねて「どうしたのー」と声をかけてくれました。その方がおばちゃんに「仲間だから通してあげてよー」という感じで話してくれて・・・救われましたね
-ごさまるお-
アーティスト同士の絆という感じですね
今回シンポジウムに参加して良かったな、と思うことはなんですか
-河原さん-
アートは国境を越えられる!と、身近に感じたことですね。
皆が「いい作品を作ろう」だけではなく、お互いをフォローし合って、雰囲気を楽しもうという空気がとても良かったです(^-^)
それと、朝7時に参加者皆で朝食をとって、バスに乗り込み会場へ向かう。それを1週間繰り返すので、言ってしまえば強化合宿です(笑)
きっちりタイムスケジュールがあって、管理されていました
「朝、昼、晩ごはん提供します。ただしアーティストはしっかり働いていい作品を作ってくださいね」という大会側からのプレッシャーというか。慣れるまで大変でしたが、中国の国民性を感じましたね。
僕らの会場の外では国民軍の方達が、ビルの3階くらいの高さの三国志をモチーフとした彫刻を彫っていて、国のマンパワーがすごいなぁと感心しました。
-ごさまるお-
作品を作っていて大変だったことはありますか
-河原さん-
先程の、水を汲みに行って凍ってしまったとお話しましたが、夕方になるとどんどん冷えてくるんですね
-20℃に近づいてくると手がかじかんでくるし、氷がしまって硬くなるので彫るのが大変でした
ゴム手袋も凍って手から脱げなくなるので、思い切って現地の人がやるみたいに地面に叩きつけて割りました。
アジアは中国、台湾、モンゴル、タイ、マレーシア、そして韓国の方もいらっしゃいました。
やっぱり雪国ロシアは上手でしたね
あと、フランスも慣れているなぁと感じました。
4名~6名で1チームとなって作業するのですが、休憩の取り方も様々でした。
フランス人はポットを持参して、15時には必ずティーを飲んでいました。
あとタイのチームは音楽をかけながら作業していましたね。「ドゥンドゥン」と響いていましたよ
5年ほど前にタイに住んでいたので、懐かしいなと思いました。
-ごさまるお-
タイに住んでいたということは、タイの方達とはタイ語でコミュニケーションをとられたんですか
-河原さん-
はい。
タイから来た作家さんがタイ語で声をかけてくれました
とても親近感が湧いてその方たちとも友達になりました
-ごさまるお-
滞在期間中、困ったことはありましたか
-河原さん-
そうですね・・・。
食堂で並んでいたときに、食堂のおばちゃんに食券を渡したんですが、丁度そのタイミングで別のおばちゃんと交代してしまって、「食券をもらっていない!」と言われ困りました
身振り手振りで伝えましたが、なかなか伝わらなくて
後ろに並んでいたモンゴル人が見かねて「どうしたのー」と声をかけてくれました。その方がおばちゃんに「仲間だから通してあげてよー」という感じで話してくれて・・・救われましたね
-ごさまるお-
アーティスト同士の絆という感じですね
今回シンポジウムに参加して良かったな、と思うことはなんですか
-河原さん-
アートは国境を越えられる!と、身近に感じたことですね。
皆が「いい作品を作ろう」だけではなく、お互いをフォローし合って、雰囲気を楽しもうという空気がとても良かったです(^-^)
それと、朝7時に参加者皆で朝食をとって、バスに乗り込み会場へ向かう。それを1週間繰り返すので、言ってしまえば強化合宿です(笑)
きっちりタイムスケジュールがあって、管理されていました
「朝、昼、晩ごはん提供します。ただしアーティストはしっかり働いていい作品を作ってくださいね」という大会側からのプレッシャーというか。慣れるまで大変でしたが、中国の国民性を感じましたね。
僕らの会場の外では国民軍の方達が、ビルの3階くらいの高さの三国志をモチーフとした彫刻を彫っていて、国のマンパワーがすごいなぁと感心しました。
-ごさまるお-
作品を作っていて大変だったことはありますか
-河原さん-
先程の、水を汲みに行って凍ってしまったとお話しましたが、夕方になるとどんどん冷えてくるんですね
-20℃に近づいてくると手がかじかんでくるし、氷がしまって硬くなるので彫るのが大変でした
ゴム手袋も凍って手から脱げなくなるので、思い切って現地の人がやるみたいに地面に叩きつけて割りました。
氷という素材を知ることができて、面白かったですよ貴重な体験をさせてもらいました。
哈爾賓大学と沖縄県立芸術大学チーム
-ごさまるお-
先程、タイに住んでいたとおっしゃっていましたね。
タイや中国以外にも訪れた国はありますか
-河原さん-
あります。
イタリア、フランス、オランダ、トルコ、タイ、ラオス、中国、韓国、シンガーポール、ベトナム、オーストラリア、カナダ、アメリカですね
私が小学生の高学年になった頃から母親が情操教育として、外国に連れて行くようになりました
もっぱら美術館巡りでしたが、「その土地のものを見て、その土地のものを食べなさい」とよく言われました。
-ごさまるお-
印象に残った美術館はありますか
-河原さん-
特に印象に残ったのは、古代のローマ彫刻でいうとフランスのルーブル美術館ですね
哈爾賓大学と沖縄県立芸術大学チーム
-ごさまるお-
先程、タイに住んでいたとおっしゃっていましたね。
タイや中国以外にも訪れた国はありますか
-河原さん-
あります。
イタリア、フランス、オランダ、トルコ、タイ、ラオス、中国、韓国、シンガーポール、ベトナム、オーストラリア、カナダ、アメリカですね
私が小学生の高学年になった頃から母親が情操教育として、外国に連れて行くようになりました
もっぱら美術館巡りでしたが、「その土地のものを見て、その土地のものを食べなさい」とよく言われました。
-ごさまるお-
印象に残った美術館はありますか
-河原さん-
特に印象に残ったのは、古代のローマ彫刻でいうとフランスのルーブル美術館ですね
街全体が芸術なので、感覚が麻痺するくらいです。
現代美術だとアメリカのニューヨークですね郊外ですが、ディーコンにあるコンテンポラリーアートの美術館には、「ただ穴が掘ってある」とか、「ただ大きい塊が置いてある」というような感じでしたが、面白かったですね
-ごさまるお-
ちょっと理解するのが難しそうですね(笑)
-河原さん-
そうですね(笑)
その美術館を訪ねたのが大学院生の頃で、当時の感性やフィーリングに合った作品に出会ったので、感動したのを覚えています。
-ごさまるお-
うらやましいですね。
アートを通して刺激を受けると感受性が豊かになりそうですね
タイに住んでいたとおっしゃっていましたが、現地では何をされていたんですか?
-河原さん-
北タイのチェンマイ大学で金属彫刻の非常勤講師として3年間技術指導をしていました。
河原さんがチェンマイ大学の学生のために作った金属廃材リサイクル箱
2年目には大学院の博士課程に合格し非常勤講師をしながら1年間ですが、勉強させてもらいました
-ごさまるお-
技術指導をされる際、学生とはタイ語で会話していたのですか
-河原さん-
最初は英語を人並みに勉強してタイへ渡ったのですが、現地ではなかなか伝わらなくて・・・。
なので、私がタイ語を話せるようになればもっとコミュニケーションが取れると思って、現地の塾に通って勉強しました
チェンマイ大学の彫刻科の先生方にも協力してもらいました
毎朝子供向けの絵本を読むのを聞いてもらって、発音を教えてもらいましたよ(笑)
-ごさまるお-
自分が教えなければいけない立場だと必死になりますね
日本との違いで苦労された点はありますか
-河原さん-
「郷に入れば郷に従え」を一番に心がけていましたので、特に苦労は感じませんでした。
大学の先生方には、食事の都度、あちこちに連れて行ってもらいました...
慣れてくるとハードルを上げてくるんですよ
「豚の脳みそ」とか「鶏肉の血和え」とか。美味しかったです
-ごさまるお-
日本では絶対食べないような食材ですね
-河原さん-
食堂でのやり取りはタイ語を覚えるためにも、現地の習慣を知るためにも、とても良いコミュニケーションになりましたし、垣根を越える手段にもなりました。
虫も食べましたね。どこへ行っても勇気と情熱で乗り切りました
-ごさまるお-
ある意味、試されていますよね
そのような体験を通して得たものはありますか
-河原さん-
そうですね。
最初は私自身の人間性を観察されていたと思うんですね。
それからこの人はどんな勉強してきたのかなという感じで作品に興味をもってくれて、最後に沖縄とはこうゆう所なんだねと理解してもらえるようになったと思います。
仲良くなると、シンポジウムに誘われたり、展覧会に声をかけてもらったりして交友関係が広がっていきました。
-ごさまるお-
なるほどそうやって関係を構築してきたんですね
アートを通して色んな人と交流されてきた河原さんですが、今度の展望などはありますか
-河原さん-
今後は・・・
私が出会ったアーティストの皆さんに是非沖縄に来て頂いて、学生の皆さんやの皆さんと交流してもらえたらと思っています。
現代美術だとアメリカのニューヨークですね郊外ですが、ディーコンにあるコンテンポラリーアートの美術館には、「ただ穴が掘ってある」とか、「ただ大きい塊が置いてある」というような感じでしたが、面白かったですね
-ごさまるお-
ちょっと理解するのが難しそうですね(笑)
-河原さん-
そうですね(笑)
その美術館を訪ねたのが大学院生の頃で、当時の感性やフィーリングに合った作品に出会ったので、感動したのを覚えています。
-ごさまるお-
うらやましいですね。
アートを通して刺激を受けると感受性が豊かになりそうですね
タイに住んでいたとおっしゃっていましたが、現地では何をされていたんですか?
-河原さん-
北タイのチェンマイ大学で金属彫刻の非常勤講師として3年間技術指導をしていました。
河原さんがチェンマイ大学の学生のために作った金属廃材リサイクル箱
2年目には大学院の博士課程に合格し非常勤講師をしながら1年間ですが、勉強させてもらいました
-ごさまるお-
技術指導をされる際、学生とはタイ語で会話していたのですか
-河原さん-
最初は英語を人並みに勉強してタイへ渡ったのですが、現地ではなかなか伝わらなくて・・・。
なので、私がタイ語を話せるようになればもっとコミュニケーションが取れると思って、現地の塾に通って勉強しました
チェンマイ大学の彫刻科の先生方にも協力してもらいました
毎朝子供向けの絵本を読むのを聞いてもらって、発音を教えてもらいましたよ(笑)
-ごさまるお-
自分が教えなければいけない立場だと必死になりますね
日本との違いで苦労された点はありますか
-河原さん-
「郷に入れば郷に従え」を一番に心がけていましたので、特に苦労は感じませんでした。
大学の先生方には、食事の都度、あちこちに連れて行ってもらいました...
慣れてくるとハードルを上げてくるんですよ
「豚の脳みそ」とか「鶏肉の血和え」とか。美味しかったです
-ごさまるお-
日本では絶対食べないような食材ですね
-河原さん-
食堂でのやり取りはタイ語を覚えるためにも、現地の習慣を知るためにも、とても良いコミュニケーションになりましたし、垣根を越える手段にもなりました。
虫も食べましたね。どこへ行っても勇気と情熱で乗り切りました
-ごさまるお-
ある意味、試されていますよね
そのような体験を通して得たものはありますか
-河原さん-
そうですね。
最初は私自身の人間性を観察されていたと思うんですね。
それからこの人はどんな勉強してきたのかなという感じで作品に興味をもってくれて、最後に沖縄とはこうゆう所なんだねと理解してもらえるようになったと思います。
仲良くなると、シンポジウムに誘われたり、展覧会に声をかけてもらったりして交友関係が広がっていきました。
-ごさまるお-
なるほどそうやって関係を構築してきたんですね
アートを通して色んな人と交流されてきた河原さんですが、今度の展望などはありますか
-河原さん-
今後は・・・
私が出会ったアーティストの皆さんに是非沖縄に来て頂いて、学生の皆さんやの皆さんと交流してもらえたらと思っています。
そして、私自身も制作活動に力を入れて作品をどんどん発表していきたいですね。
河原さんの作品『にがい記憶』
河原さんの作品『クバの葉』
-ごさまるお-
河原さんの作品を見る機会があれば是非、お知らせいただけると嬉しいです
河原さんの作品『にがい記憶』
河原さんの作品『クバの葉』
-ごさまるお-
河原さんの作品を見る機会があれば是非、お知らせいただけると嬉しいです
Interviewee:河原圭佑
Interviewer:ちゅら子・ごさまるお
Writer:まりりん
Proofreader:プー子
2020年05月28日
CFP vol.43 知念ありさ さん
HIV(ヒト免疫不全ウィルス)について正しい知識を身に付けてもらうために、啓発活動を行っている団体があります。
NPO法人HIV人権ネットワーク沖縄です。
設立当初から当該団体に関わり、現在、事務局長として調整役を務めている知念ありささんからお話を伺いました。
-ちゅら子-
早速ですが、NPO法人HIV人権ネットワーク沖縄の活動を教えてください
-知念さん-
まず、団体名に「沖縄」と付いていますが、沖縄独自の取り組みで全国に支部はありません。
沖縄では1990年代にHIV、いわゆる、ヒト免疫不全ウィルスに感染した人が爆発的に増え全国比で3位になってしまったんですね
それを受けて、沖縄県民を守るためにはHIVについて正しく理解してもらう必要があると考え、2004年にNPO(特定非営利活動法人)を立ち上げ啓発活動を続けています。
啓発活動と聞くと多少重苦しい印象があると思いますが、講演活動や人権フォーラム、演劇を通して幅広い年齢層にアプローチしています。
正しい知識と理解があってこそ、差別や偏見のない社会を築くことができると思います
-ちゅら子-
演劇、観てみたいですね
どちらで観ることができるのでしょう
-知念さん-
私たちの拠点が那覇市の首里なんですね。
それと、那覇市から協賛をいただいているということもあって、県内では、那覇市を中心に年に1回上演しています
県外だと、東京都、岡山県、広島県などでも上演しました。
ちゅら子さん、DVD(英語字幕付き)やYouTubeで観ることができるので是非
https://www.youtube.com/watch?v=PvQtlDeKYSs
人権フォーラム2017 in 広島 後編(演劇「光りの扉を開けて」)より
劇の中で、HIVに感染した女子高生とハンセン病回復者が出会うんですね。なので、ハンセン病についても知ることができますよ!
-ちゅら子-
おーYouTube配信しているのですね
観ます
講演会もあちこちでされているのですか
-知念さん-
各地域の学校などから依頼があるので、県内外で講演しています
実は・・・私たち団体の理事長は、元々高校で保健体育を教えていました
私も高校生の頃、比嘉先生(理事長)に演劇をしてみないかと声をかけられ、演劇をはじめました。当時は、高校生同士で声を掛け合ってメンバーを集めていましたが、理事長が退職されたので、一般公募となりました。
現在は、演者の年齢層も幅広くなりまして、3歳~70代の方々が参加しています
メンバーの中には、ハンセン病回復者もいらっしゃいます
-ちゅら子-
演劇を観た方々の反響はいかがですか
-知念さん-
すごく好評です
理事長が元教師、ということもあって心を掴むのが上手です。
講演では、HIVを正しく理解してもらうために、感染経路=性交渉、母子感染、血液感染について話します。
昔に比べ、性交渉の年齢が早まってきているので、その実情を踏まえながら、性交渉がお互いを重んじる尊い行為であること、
何より、性交渉の際、コンドームを着用することで感染率を0.01%に抑えることができると伝えています。
-ちゅら子-
知念さんたちの活動が浸透して、よりよい沖縄県になってほしいですね
その一方で、NPOの活動としてネパールに学校をつくったそうですが、どうしてですか
-知念さん-
HIVの活動をしていく中で教育の大切さを痛感したんですね。
なので、教育の中で啓発していけば、今後、感染率も抑えられるのではないかと思ったんです。
それと、学校を設立する前にネパールへ行く機会があって、貧困層の子どもたちが学校に通えない現状を知りました。
何か力になれないかなという考えもあって、2012年にビラトナガルに「サティア沖縄スクール」を設立しました。
HIVとはウィルスのことではありますが、私たちは、Human Inner Vales(ヒューマン・インナー・ヴァリュウス)と言って道徳的5大価値、つまり、内面の教育を重視しています。
-ちゅら子-
ネパールの教育システムって日本と同じですか
-知念さん-
そもそも貧困層の子どもたちは親や家族にとって働き手なので、学校に通えないんですね
しかも、日本の教育と違ってネパールでは試験に合格しなければ進級できません。
実際に幼稚園部に12歳の女の子が在籍していたこともあります。
幼稚園部からはじまる識字教育をパスしなければ、進級することはできません。
そういう事情から、私たちNPOも幼稚園部から立ち上げました
1年ごとに学年を増やし、現在は5学年(小学校5年生)まであります
-ちゅら子-
知念さんたちはどのように子どもたちと関わっているのですか
-知念さん-
私たちは年に1~2回視察に行きます
メンバーの中には元歯科医がいるので歯磨きの指導をしたり、私は事務局なので、経理を含め食事がちゃんと行き届いているか遠方から通学する子どもたちが利用する力車が動いているかチェックしたりします校歌やマントラ、ラジオ体操を教えることもあります
-ちゅら子-
年に1~2回視察に行くということは、学校の運営は現地の人が行っているのですね
-知念さん-
そうです。
ですが、「サティア沖縄スクール」は5学年までしかないので、6年生になったら別の学校に転校しなければなりません。
転校する頃にはとても優秀になっていますが、別の学校へ通って卒業する子もいれば、教育費が払えず結婚させられる子どももいます。
日本では考えられないですよね。
-ちゅら子-
実際、知念さんがネパールの子どもたちと交流して感じたことはありますか
-知念さん-
私たちにとって当たり前が当たり前ではない世界がある、ということですね。
私が出会ったネパールの子どもたちは、空の下、というか、トタン屋根の下で眠っていました。
私たちは安全なところで教育が受けられる、眠れる、食事ができますよね。
そのことに感謝しなければならないと思います
-ちゅら子-
今後も知念さんたちの活動は続くと思いますが、知念さんご自身の目標はありますか
-知念さん-
教育を通して沖縄の子どもたちやネパールの子どもたちを支えていきたいです
そして、NPO法人HIV人権ネットワーク沖縄の一員として、啓発活動も続けていきたいと思います
Interviewee:知念ありさ
Interviewer:ちゅら子・ごさまるお
Writer:ちゅら子
Proofreader:プー子
NPO法人HIV人権ネットワーク沖縄です。
設立当初から当該団体に関わり、現在、事務局長として調整役を務めている知念ありささんからお話を伺いました。
-ちゅら子-
早速ですが、NPO法人HIV人権ネットワーク沖縄の活動を教えてください
-知念さん-
まず、団体名に「沖縄」と付いていますが、沖縄独自の取り組みで全国に支部はありません。
沖縄では1990年代にHIV、いわゆる、ヒト免疫不全ウィルスに感染した人が爆発的に増え全国比で3位になってしまったんですね
それを受けて、沖縄県民を守るためにはHIVについて正しく理解してもらう必要があると考え、2004年にNPO(特定非営利活動法人)を立ち上げ啓発活動を続けています。
啓発活動と聞くと多少重苦しい印象があると思いますが、講演活動や人権フォーラム、演劇を通して幅広い年齢層にアプローチしています。
正しい知識と理解があってこそ、差別や偏見のない社会を築くことができると思います
-ちゅら子-
演劇、観てみたいですね
どちらで観ることができるのでしょう
-知念さん-
私たちの拠点が那覇市の首里なんですね。
それと、那覇市から協賛をいただいているということもあって、県内では、那覇市を中心に年に1回上演しています
県外だと、東京都、岡山県、広島県などでも上演しました。
ちゅら子さん、DVD(英語字幕付き)やYouTubeで観ることができるので是非
https://www.youtube.com/watch?v=PvQtlDeKYSs
人権フォーラム2017 in 広島 後編(演劇「光りの扉を開けて」)より
劇の中で、HIVに感染した女子高生とハンセン病回復者が出会うんですね。なので、ハンセン病についても知ることができますよ!
-ちゅら子-
おーYouTube配信しているのですね
観ます
講演会もあちこちでされているのですか
-知念さん-
各地域の学校などから依頼があるので、県内外で講演しています
実は・・・私たち団体の理事長は、元々高校で保健体育を教えていました
私も高校生の頃、比嘉先生(理事長)に演劇をしてみないかと声をかけられ、演劇をはじめました。当時は、高校生同士で声を掛け合ってメンバーを集めていましたが、理事長が退職されたので、一般公募となりました。
現在は、演者の年齢層も幅広くなりまして、3歳~70代の方々が参加しています
メンバーの中には、ハンセン病回復者もいらっしゃいます
-ちゅら子-
演劇を観た方々の反響はいかがですか
-知念さん-
すごく好評です
理事長が元教師、ということもあって心を掴むのが上手です。
講演では、HIVを正しく理解してもらうために、感染経路=性交渉、母子感染、血液感染について話します。
昔に比べ、性交渉の年齢が早まってきているので、その実情を踏まえながら、性交渉がお互いを重んじる尊い行為であること、
何より、性交渉の際、コンドームを着用することで感染率を0.01%に抑えることができると伝えています。
-ちゅら子-
知念さんたちの活動が浸透して、よりよい沖縄県になってほしいですね
その一方で、NPOの活動としてネパールに学校をつくったそうですが、どうしてですか
-知念さん-
HIVの活動をしていく中で教育の大切さを痛感したんですね。
なので、教育の中で啓発していけば、今後、感染率も抑えられるのではないかと思ったんです。
それと、学校を設立する前にネパールへ行く機会があって、貧困層の子どもたちが学校に通えない現状を知りました。
何か力になれないかなという考えもあって、2012年にビラトナガルに「サティア沖縄スクール」を設立しました。
HIVとはウィルスのことではありますが、私たちは、Human Inner Vales(ヒューマン・インナー・ヴァリュウス)と言って道徳的5大価値、つまり、内面の教育を重視しています。
-ちゅら子-
ネパールの教育システムって日本と同じですか
-知念さん-
そもそも貧困層の子どもたちは親や家族にとって働き手なので、学校に通えないんですね
しかも、日本の教育と違ってネパールでは試験に合格しなければ進級できません。
実際に幼稚園部に12歳の女の子が在籍していたこともあります。
幼稚園部からはじまる識字教育をパスしなければ、進級することはできません。
そういう事情から、私たちNPOも幼稚園部から立ち上げました
1年ごとに学年を増やし、現在は5学年(小学校5年生)まであります
-ちゅら子-
知念さんたちはどのように子どもたちと関わっているのですか
-知念さん-
私たちは年に1~2回視察に行きます
メンバーの中には元歯科医がいるので歯磨きの指導をしたり、私は事務局なので、経理を含め食事がちゃんと行き届いているか遠方から通学する子どもたちが利用する力車が動いているかチェックしたりします校歌やマントラ、ラジオ体操を教えることもあります
-ちゅら子-
年に1~2回視察に行くということは、学校の運営は現地の人が行っているのですね
-知念さん-
そうです。
ですが、「サティア沖縄スクール」は5学年までしかないので、6年生になったら別の学校に転校しなければなりません。
転校する頃にはとても優秀になっていますが、別の学校へ通って卒業する子もいれば、教育費が払えず結婚させられる子どももいます。
日本では考えられないですよね。
-ちゅら子-
実際、知念さんがネパールの子どもたちと交流して感じたことはありますか
-知念さん-
私たちにとって当たり前が当たり前ではない世界がある、ということですね。
私が出会ったネパールの子どもたちは、空の下、というか、トタン屋根の下で眠っていました。
私たちは安全なところで教育が受けられる、眠れる、食事ができますよね。
そのことに感謝しなければならないと思います
-ちゅら子-
今後も知念さんたちの活動は続くと思いますが、知念さんご自身の目標はありますか
-知念さん-
教育を通して沖縄の子どもたちやネパールの子どもたちを支えていきたいです
そして、NPO法人HIV人権ネットワーク沖縄の一員として、啓発活動も続けていきたいと思います
Interviewee:知念ありさ
Interviewer:ちゅら子・ごさまるお
Writer:ちゅら子
Proofreader:プー子
2020年04月24日
CFP vol.42 平良亜紗美さん
教育研修ファシリテーターの平良亜紗美さんをご紹介します。
-ちゅら子-
本日は宜しくお願いします
早速ですが、“教育研修ファシリテーター”とはどのようなお仕事なのでしょう
-平良さん-
ファシリテーションとは「促す」、「促進する」という意味があって、色んな分野で活かされるスキルの一つです。
私の場合は、教育現場における「交流活動」や「体験学習」などをデザイン&プログラムし運営しています
―ちゅら子―
これまでに関わったお仕事を具体的に教えていただけますか
―平良さんー
最近だと、沖縄県の事業に関わらせてもらいました
「郷土芸能の分野で活躍する沖縄県内の高校生」が文化交流を目的に、ハワイのオアフ島で短期研修を行ったんですね。その研修に同行しました 研修カリキュラムは5泊7日で予備研修が事前にあります。
県内の各学校から生徒達が集まってきますが、ほとんどが初対面なので、 関係構築の為のアイスブレイクやチームビルディングというようなアクティビティを行います
事前研修
他にも、現地の方々と交流するには自分自身が育った沖縄のことを知っておかなければなりません。なので「沖縄の歴史と文化」という講座を開いたり、ハワイは英語圏なので「英語研修」を行ったり、「ハワイの歴史と文化」に触れることのできる研修を行います。
沖縄の歴史と文化
ハワイの歴史と文化
-ちゅら子-
平良さんがファシリテーターとして大事にしていることは何ですか
-平良さん-
私自身、海外留学やハワイで過ごした経験があるんですね。
現地の方々から沢山のことを学ばせてもらい、沢山のことを体験させてもらって成長できたと感じています
-ちゅら子-
ご自身の体験がお仕事にも活かされているのですね
留学&ハワイで過ごした経験があるとおっしゃっていましたが、行く前と行った後では気持ちの変化ってありましたか
―平良さんー
ありました
もともと海外への憧れがあって、国際貢献できるといいなぁという考えはありました。
沖縄だと・・・琉球王国の歴史や文化を学ぶ感じかな。
実際、ハワイアンスタディーズの授業に参加した高校生達の反応はいかがでしたか?
-平良さん-
高校生たちの率直な声として・・・
「私達も沖縄の歴史を勉強したい!」、「沖縄ではどうして言語の授業がないの?」と言っていました。
あと、普段から携わっている郷土芸能について、より深く考えるようになっていましたね(*´▽`*)
今までは、どう綺麗に上手に踊るか、演奏するか、を意識していたようですが、「先祖が代々守ってきた芸能なんだ!」ということを意識して、唄の意味や背景をちゃんと勉強しなきゃいけないと話してくれました
-ちゅら子-
パフォーマンスとしてだけでなく、郷土芸能とどう向き合っていくかを考えるようになったのですね
-平良さん-
はい
研修に参加した高校生たちの成長を側で見ることができて嬉しかったです
事後研修
-ちゅら子-
ファシリテーターとして未来を担う高校生たちと関わってきた平良さんですが、足元を見なきゃいけない・・・とおっしゃっていましたね。
確かに沖縄は沖縄だけでは解決できない問題が山積です
今の沖縄を見て、どう思いますか?
-平良さん-
植民地だな・・・と思いますね
ハワイを見てきたから思うことでもありますが、私達はなぜ、自分たち沖縄の歴史を学ぶ環境が整っていないのか
私たちの先祖が話していた言葉が禁止された歴史があり、それゆえに元々の言葉を話せる人が減っています。
沖縄の言葉は独自性のある言語になると思うので、沖縄方言という言葉の位置づけもおかしいと思います
辺野古に関してもそう
県民投票ではあれだけ声をあげて民意を示しているのに、日本政府へ声が届かないのを目の当たりにすると、沖縄の自己決定権がないのでは?!?と感じますね。
-ちゅら子-
確かに多くの県民が理不尽さを感じていますね。
沖縄県、県民がどんなにアクションを起こしても日本政府は向き合おうともしない残念ですよね・・・。
この現状を踏まえて、平良さんの考えと、今後の目標を教えてください
-平良さん-
そうですね~
先ずは、沖縄の人達、島人が自分たちの歴史を知って自分たちは島人なんだということに気付き、ちゃんと権利を求めて動くことだと思います。
私自身海外に行ってそういったことに気付いて帰ってきたので、体験を通して、そういったことを伝えていきたいです
今は県が主催する事業に携わっているだけですが、教育ファシリテーターとして、ハワイだけでなく、各地域の歴史を学んだり交流の場を作って、若い世代が気付いていく機会を増やしていきたいです。
-ちゅら子-
本日は宜しくお願いします
早速ですが、“教育研修ファシリテーター”とはどのようなお仕事なのでしょう
-平良さん-
ファシリテーションとは「促す」、「促進する」という意味があって、色んな分野で活かされるスキルの一つです。
私の場合は、教育現場における「交流活動」や「体験学習」などをデザイン&プログラムし運営しています
―ちゅら子―
これまでに関わったお仕事を具体的に教えていただけますか
―平良さんー
最近だと、沖縄県の事業に関わらせてもらいました
「郷土芸能の分野で活躍する沖縄県内の高校生」が文化交流を目的に、ハワイのオアフ島で短期研修を行ったんですね。その研修に同行しました 研修カリキュラムは5泊7日で予備研修が事前にあります。
県内の各学校から生徒達が集まってきますが、ほとんどが初対面なので、 関係構築の為のアイスブレイクやチームビルディングというようなアクティビティを行います
事前研修
アクティビティの後は、「なぜ、研修に参加するのか?」、「 何を学びたいのか?」、「 成長してどういう自分になりたいのか?」など、参加する目的や目標を明確にしてもらうよう働きかけます
他にも、現地の方々と交流するには自分自身が育った沖縄のことを知っておかなければなりません。なので「沖縄の歴史と文化」という講座を開いたり、ハワイは英語圏なので「英語研修」を行ったり、「ハワイの歴史と文化」に触れることのできる研修を行います。
沖縄の歴史と文化
ハワイの歴史と文化
-ちゅら子-
平良さんがファシリテーターとして大事にしていることは何ですか
-平良さん-
私自身、海外留学やハワイで過ごした経験があるんですね。
現地の方々から沢山のことを学ばせてもらい、沢山のことを体験させてもらって成長できたと感じています
なので、体験を通して学びを深め色んなチャレンジをして自己成長に繋げてもらえるよう、体験のプロセスを作ってあげたいですね
やっぱり、言葉で伝えても頭だけでしか解らないじゃないですか
体験することで確実に自分のものになります
体験することで確実に自分のものになります
-ちゅら子-
ご自身の体験がお仕事にも活かされているのですね
留学&ハワイで過ごした経験があるとおっしゃっていましたが、行く前と行った後では気持ちの変化ってありましたか
―平良さんー
ありました
もともと海外への憧れがあって、国際貢献できるといいなぁという考えはありました。
でも、実際外に出てみて考え自体変わりました。
沖縄のこと、何も知らなかったな・・・と。
自分が生まれ育った沖縄には解決しなきゃいけない問題がたくさんあったんです
「足元(地元)のことも出来てないのに他所の事なんて出来ない」って思いました。
それからです。
沖縄のことを真っ先に考えようと思ったのは。
ハワイへ行ったのは、“世界若者ウチナーンチュ大会”に参加したり関わったりしていて、世界の若い世代のウチナーンチュと繋がる機会に恵まれたので、その繋がりを通してハワイで「琉球アイデンティティカンファレンス」というものがあることを知り、そのメンバーと一緒に2017年にエイヤーって言って行っちゃいましたw それからは毎年ハワイへ行っています
琉球アイデンティティカンファレンス
―ちゅら子―
あさみさんにとってハワイとはどんな場所ですか
―平良さんー
一言で言うと・・・
「足元(地元)のことも出来てないのに他所の事なんて出来ない」って思いました。
それからです。
沖縄のことを真っ先に考えようと思ったのは。
ハワイへ行ったのは、“世界若者ウチナーンチュ大会”に参加したり関わったりしていて、世界の若い世代のウチナーンチュと繋がる機会に恵まれたので、その繋がりを通してハワイで「琉球アイデンティティカンファレンス」というものがあることを知り、そのメンバーと一緒に2017年にエイヤーって言って行っちゃいましたw それからは毎年ハワイへ行っています
琉球アイデンティティカンファレンス
―ちゅら子―
あさみさんにとってハワイとはどんな場所ですか
―平良さんー
一言で言うと・・・
「目覚めさせてくれる場所」
ですね。
ハワイには沖縄から移民したウチナーンチュやその末裔が沢山住んでいらっしゃって、沖縄に対する思いがとても強いんです
皆さん、自分のルーツをとても大切にされていて、どこのお家に行っても家系図があるんですよ!写真入りの家系図が壁に飾られています。お墓参りにもよく行きますね。
沖縄関連のイベントも定期的に開催していますし、芸能においても各流派にそれぞれ師範がいらっしゃって後継者を育てています
-ちゅら子-
沖縄の伝統文化が海を越えても守られているのですね
先程伺った高校生の短期研修の話題に戻りますが、高校生達は現地でどのような交流したのでしょう
-平良さん-
交流会と題した大きなディナーパーティーがあって、そこで、高校生達が演舞したり、ハワイの皆さんが手作りで持ち寄って下さったお料理を食べながらお喋りしたりして親睦を図っていました
ハワイウチナーンチュとの交流会
-ちゅら子-
ハワイのお料理が出てくるのですか
-平良さん-
ウムクジ天ぷらなどのウチナー料理から、ハワイのカルーアポークといって、焼き豚をさいたものをキャベツと炒める料理など色んな料理がありましたね~
-ちゅら子-
美味しそうですね
食事をしながら会話すると心が打ち解けると聞いたことがあります(#^.^#)
-平良さん-
交流会以外にも現地の小学校や高校を訪ねて生徒間の交流がありました
興味深かったのが、ハワイの小中高校には「ハワイアンスタディーズ」という科目があって、ハワイの歴史や文化、言語を学ぶ授業があります。
訪れた小学校(公立)では、短期研修に参加した高校生たちも「ハワイアンスタディーズ」の授業に参加して、小学生と一緒にハワイの歴史と文化を学ぶという体験をしました
高校は、「カメハメハ高校」に行ってフラの授業に参加させてもらいました(゚∀゚)♫
この高校は何%か原住ハワイアンの血が入っていないと入学できない!という条件があって、元々の王家の財産で運営されています。
-ちゅら子-
ハワイがアメリカ州になる前の文化も教育のカリキュラムに取り入れているのですね
ですね。
ハワイには沖縄から移民したウチナーンチュやその末裔が沢山住んでいらっしゃって、沖縄に対する思いがとても強いんです
皆さん、自分のルーツをとても大切にされていて、どこのお家に行っても家系図があるんですよ!写真入りの家系図が壁に飾られています。お墓参りにもよく行きますね。
沖縄関連のイベントも定期的に開催していますし、芸能においても各流派にそれぞれ師範がいらっしゃって後継者を育てています
-ちゅら子-
沖縄の伝統文化が海を越えても守られているのですね
先程伺った高校生の短期研修の話題に戻りますが、高校生達は現地でどのような交流したのでしょう
-平良さん-
交流会と題した大きなディナーパーティーがあって、そこで、高校生達が演舞したり、ハワイの皆さんが手作りで持ち寄って下さったお料理を食べながらお喋りしたりして親睦を図っていました
ハワイウチナーンチュとの交流会
-ちゅら子-
ハワイのお料理が出てくるのですか
-平良さん-
ウムクジ天ぷらなどのウチナー料理から、ハワイのカルーアポークといって、焼き豚をさいたものをキャベツと炒める料理など色んな料理がありましたね~
-ちゅら子-
美味しそうですね
食事をしながら会話すると心が打ち解けると聞いたことがあります(#^.^#)
-平良さん-
交流会以外にも現地の小学校や高校を訪ねて生徒間の交流がありました
興味深かったのが、ハワイの小中高校には「ハワイアンスタディーズ」という科目があって、ハワイの歴史や文化、言語を学ぶ授業があります。
訪れた小学校(公立)では、短期研修に参加した高校生たちも「ハワイアンスタディーズ」の授業に参加して、小学生と一緒にハワイの歴史と文化を学ぶという体験をしました
高校は、「カメハメハ高校」に行ってフラの授業に参加させてもらいました(゚∀゚)♫
この高校は何%か原住ハワイアンの血が入っていないと入学できない!という条件があって、元々の王家の財産で運営されています。
-ちゅら子-
ハワイがアメリカ州になる前の文化も教育のカリキュラムに取り入れているのですね
沖縄だと・・・琉球王国の歴史や文化を学ぶ感じかな。
実際、ハワイアンスタディーズの授業に参加した高校生達の反応はいかがでしたか?
-平良さん-
高校生たちの率直な声として・・・
「私達も沖縄の歴史を勉強したい!」、「沖縄ではどうして言語の授業がないの?」と言っていました。
あと、普段から携わっている郷土芸能について、より深く考えるようになっていましたね(*´▽`*)
今までは、どう綺麗に上手に踊るか、演奏するか、を意識していたようですが、「先祖が代々守ってきた芸能なんだ!」ということを意識して、唄の意味や背景をちゃんと勉強しなきゃいけないと話してくれました
-ちゅら子-
パフォーマンスとしてだけでなく、郷土芸能とどう向き合っていくかを考えるようになったのですね
-平良さん-
はい
研修に参加した高校生たちの成長を側で見ることができて嬉しかったです
事後研修
-ちゅら子-
ファシリテーターとして未来を担う高校生たちと関わってきた平良さんですが、足元を見なきゃいけない・・・とおっしゃっていましたね。
確かに沖縄は沖縄だけでは解決できない問題が山積です
今の沖縄を見て、どう思いますか?
-平良さん-
植民地だな・・・と思いますね
ハワイを見てきたから思うことでもありますが、私達はなぜ、自分たち沖縄の歴史を学ぶ環境が整っていないのか
私たちの先祖が話していた言葉が禁止された歴史があり、それゆえに元々の言葉を話せる人が減っています。
沖縄の言葉は独自性のある言語になると思うので、沖縄方言という言葉の位置づけもおかしいと思います
辺野古に関してもそう
県民投票ではあれだけ声をあげて民意を示しているのに、日本政府へ声が届かないのを目の当たりにすると、沖縄の自己決定権がないのでは?!?と感じますね。
-ちゅら子-
確かに多くの県民が理不尽さを感じていますね。
沖縄県、県民がどんなにアクションを起こしても日本政府は向き合おうともしない残念ですよね・・・。
この現状を踏まえて、平良さんの考えと、今後の目標を教えてください
-平良さん-
そうですね~
先ずは、沖縄の人達、島人が自分たちの歴史を知って自分たちは島人なんだということに気付き、ちゃんと権利を求めて動くことだと思います。
私自身海外に行ってそういったことに気付いて帰ってきたので、体験を通して、そういったことを伝えていきたいです
今は県が主催する事業に携わっているだけですが、教育ファシリテーターとして、ハワイだけでなく、各地域の歴史を学んだり交流の場を作って、若い世代が気付いていく機会を増やしていきたいです。
Interviewee:平良亜紗美
Interviewer:ちゅら子・アデ子
Tape transcription:まりりん
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子
Interviewer:ちゅら子・アデ子
Tape transcription:まりりん
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子
2020年03月25日
CFP vol.41 前田比呂也さん
現在、中学校の校長先生を務めながら、美術の分野でアート作家として活躍している前田比呂也さん。
前田さんから美術教育の必要性を伺ってきました!!
-アデ子-
こんにちは
いきなりですが、眼の前にあるこの黒っぽい漆?は前田さんの作品ですよね
-前田さん-
これはサンゴで出来ています。
-アデ子-
えっサンゴですかサンゴには見えませんが・・・不規則な凹凸がありますね。何を表現しているのですか
-前田さん-
この作品は沖縄の歴史的背景をモチーフにして作っています。
表面は黒い漆で覆われていますが、その下には赤い漆が塗ってあります。
サンゴを沖縄ナショナリティに見立て、サンゴの不規則な形の上にストッキングを被せて凹凸を画一化しています。その上に漆(赤漆、黒漆)を塗りました
-アデ子-
そういえば、ここの特に凸箇所の黒い漆は薄くなっていて、ほんのり赤みがかっていますね
-前田さん-
漆は人に触られて擦れてくると、10年くらいの時間をかけて特に突起の部分から薄くなり黒い漆の下にある赤い漆が浮き出てきます
沖縄という島は、サンゴで出来ていますね
かつて沖縄は中国の属国で、その時代は主に赤い漆器が生産されていました。
その後、薩摩に侵略され日本となっていきますが、その時は黒い漆器を生産しています。
サンゴという沖縄ナショナリティが、他文化のカラー(赤漆と黒漆)で覆われている様子を表現しています。
-アデ子-
前田さんは中学校の校長であり、専門は美術とのことですが、いつ頃から美術に携わっているのですか
琉球新報より、慰霊の日特設授業の様子
前田さんの作品
-前田さん-
僕のおやじは漆職人でして、当時バンボウという漆屋を営んでいました。幼い頃、若狭小学校からの帰りによくバンボウにいる職人たちの仕事を見ていました。美術は当たり前に身近にありましたし、社会人最初の15年くらいは沖縄県立美術館・博物館の準備室で仕事をしていました。
-アデ子-
当たり前にあった環境が前田さんを美術へ導いたのですね。
美術館でお仕事をするとなれば、海外のアーティストや作品にも目を向けるようになると思うのですが、海外で過ごした経験はありますか
-前田さん-
実は、ヨーロッパで油絵を描いて暮らしたいと考えた時期があって・・・海外の日本人学校に勤務するために文科省に応募したんですね。そうしたら、派遣先が香港の小学校に決まってしまいがっかりしました。1990年~3年間香港の日本人学校にいました。
結果的に香港で良かったんですけどね。今の僕を形成するくらい大きな影響を受けました。
-アデ子-
どのような影響を受けたのですか
-前田さん-
ちょうど僕が香港へ渡った頃、コウズエベイという地区のキングスロードで、天安門事件追悼一周年のデモがありました。
学校の現地スタッフでさえ中国の不安定な社会情勢を恐れてカナダなどの北米に逃れる人が多かった時期でした。
僕が香港へ渡って3年目には、香港へ出戻る人々が増え始めていました。
追悼デモの様子
-アデ子-
出戻ってきたのは、情勢が落ち着いたからですか
-前田さん-
当時の香港はイギリスからの返還が目前に迫っていた頃で『中国とは違う新しい香港を作ろう!』をスローガンに、新しい香港アイデンティティを求めた民衆が敢えて、香港に留まったんです。ジャッキー・チェン(俳優)やアニタムイ(歌手)がその例ですね。
-アデ子-
地元を大切にしたいという想いが強かったのでしょうか。
-前田さん-
個人とナショナリティー。
民族的、文化的背景などに向き合い、どうやって折り合いをつけていくか。将来をどう見通していくか・・・。
与えられているもので生きるのではなく、選択しながら生きる。
香港から出ていくのか、出て行って中国で暮らすのか。
香港人としていきていくのか、中国人として生きていくのか、自分の生き方を香港の人達は選択しなければいけなかった。
そーゆーことってあるんだなぁ・・・と思いました。
僕にとっては大きな出来事でした。
-アデ子-
激動の香港で、前田さんは日本人学校の教師をされていたのですね。
そのときも絵は描き続けていたのですか
-前田さん-
はい。香港では個展を開きました
当時バブルの時期でギャラリーは沢山ありましたが、貸してくれる場所がなかなか見つからず
絵を抱えながら、オファーしては断られていました
そこで香港アートセンターに相談してみたら香港市政局が、香港ビジュアルアートセンターを貸してくれるということになってギャラリーではなく公立の美術館で個展をすることが出来ました
前田さんの作品
前田さんの作品
-アデ子-
凄い展開ですねΣ(・ω・ノ)ノ!
-前田さん-
香港がきっかけでアジアに関心が向き、その後はシンガポールの美術館で1年間勤務しました。
マーライオン
-アデ子-
海外に出ると意識や物事の考え方って変わりますか
-前田さん-
変わりますね。
香港もシンガポールも小さな地域という意味では沖縄とそんなに変わらない。なのに、国としてしっかり機能しているし、サバイバル感覚がある。苦しくても自分で決めてやっていくことを目の当たりにしました。
それに比べると沖縄は、補助金など日本政府に依存している面が強い上に、気持ち的にも自立できていない気がするんですよ。
-アデ子-
確かに・・・自立心って教育を通して徐々に培われていくものだと思いますが、いかがでしょう
-前田さん-
そうですね。アデ子さんは、シンガポールの教育制度を知っていますか
シンガポールでは12歳になるとPrimary School Leaving Examination(小学校の卒業試験)があります。テストの結果次第で大きく進路が左右されます。どういうことかというと、テストの結果が良ければ大学進学へ向けた教育へ進み、結果がふるわなかった子達は社会に出て役に立つような技術系の職業訓練に進みます。
それぞれの役割を認識しやすいですし、良い点数が取れた子は貧しくても博士課程までちゃんと国が面倒をみてくれます
-アデ子-
早い段階で将来を見据えた取り組みが始まるんですね
-前田さん-
そうです。大器晩成という言葉はシンガポールにはありません。
不思議だったのは、上位と下位を分けると差別に繋がる気もするけど、そんなことはないんですよ。
成績下位の子達が受ける職業訓練は優れていて収入も同等にある。テストを以て適性が決められ、自分自身の努力次第で望む仕事に就けるんです。
ちなみに、世界で実施されている学習到達度調査では毎回上位です。
項目は全部で3つ。読解力。数学的リテラシー、科学的リテラシー。
沖縄も学習到達度調査がありますが、無回答が多いんですよ。
意志表示や記述表現、特に言葉での表現が苦手な子が多いです。
-アデ子-
そういう能力って、どうすれば育てられると思いますか
-前田さん-
言葉の表現や意思表示などの能力を培うには、美術の授業が最適です。
美術って答えが1つではありませんから、自分が選択したものを正解にしていく。
絵は1人で見て分かることもあれば、みんなで見て分かることもある。
自分と全く違う価値観をもつ人、育ちが違う人と同じ絵を見て感覚の違いに気づくことで物事の見方が深まります。
「あなたの意見は尊重されていますよ!」と自己肯定感を育てること。あなたが喋っていることを皆がちゃんと聞いてくれている、という経験が大事なのです。
-アデ子-
なるほど
最後になりますが、前田さんが考える美術教育についてお聞かせください。
-前田さん-
学校とは本来、子ども達が自由に表現出来る環境を先生達がつくっていく場所だと思っています。
美術や音楽などの授業では、自分を好きになる瞬間、自分が認められる瞬間があります。そのことは一生自分を助けるし、生きる力にもなります。絵を描くこと、物を作ることって本来は楽しいんですね!その気持ちを育むのが美術教育だと思います。学校教育において美術の授業は大切ですね。
ちなみに海外では、自己主張しないと自分の場所が守れないですから、自分を信じて海外へ行ってみるのも良い経験になるでしょうね。
-アデ子-
アート作品を見るだけでなく、作品についていろんな人と感想を述べあうことも大事なんだなぁと思いました
-前田さん-
私はよく、子どもたちにゴッホの「ひまわり」の絵を見せて「どのひまわりが自分だと思う」と尋ねます。
大事なのは理由をちゃんと聞いて認めることです。
皆さんも試してみてください。いろんな意見が聞けて面白いですよ(^o^)
Interviewee:前田比呂也
Interviewer:アデ子・ごさまるお・ちゅら子
Tape transcription:アデ子
Editor:ごさまるお
Proofreader:プー子
前田さんから美術教育の必要性を伺ってきました!!
-アデ子-
こんにちは
いきなりですが、眼の前にあるこの黒っぽい漆?は前田さんの作品ですよね
-前田さん-
これはサンゴで出来ています。
-アデ子-
えっサンゴですかサンゴには見えませんが・・・不規則な凹凸がありますね。何を表現しているのですか
-前田さん-
この作品は沖縄の歴史的背景をモチーフにして作っています。
表面は黒い漆で覆われていますが、その下には赤い漆が塗ってあります。
サンゴを沖縄ナショナリティに見立て、サンゴの不規則な形の上にストッキングを被せて凹凸を画一化しています。その上に漆(赤漆、黒漆)を塗りました
-アデ子-
そういえば、ここの特に凸箇所の黒い漆は薄くなっていて、ほんのり赤みがかっていますね
-前田さん-
漆は人に触られて擦れてくると、10年くらいの時間をかけて特に突起の部分から薄くなり黒い漆の下にある赤い漆が浮き出てきます
沖縄という島は、サンゴで出来ていますね
かつて沖縄は中国の属国で、その時代は主に赤い漆器が生産されていました。
その後、薩摩に侵略され日本となっていきますが、その時は黒い漆器を生産しています。
サンゴという沖縄ナショナリティが、他文化のカラー(赤漆と黒漆)で覆われている様子を表現しています。
-アデ子-
前田さんは中学校の校長であり、専門は美術とのことですが、いつ頃から美術に携わっているのですか
琉球新報より、慰霊の日特設授業の様子
前田さんの作品
-前田さん-
僕のおやじは漆職人でして、当時バンボウという漆屋を営んでいました。幼い頃、若狭小学校からの帰りによくバンボウにいる職人たちの仕事を見ていました。美術は当たり前に身近にありましたし、社会人最初の15年くらいは沖縄県立美術館・博物館の準備室で仕事をしていました。
-アデ子-
当たり前にあった環境が前田さんを美術へ導いたのですね。
美術館でお仕事をするとなれば、海外のアーティストや作品にも目を向けるようになると思うのですが、海外で過ごした経験はありますか
-前田さん-
実は、ヨーロッパで油絵を描いて暮らしたいと考えた時期があって・・・海外の日本人学校に勤務するために文科省に応募したんですね。そうしたら、派遣先が香港の小学校に決まってしまいがっかりしました。1990年~3年間香港の日本人学校にいました。
結果的に香港で良かったんですけどね。今の僕を形成するくらい大きな影響を受けました。
-アデ子-
どのような影響を受けたのですか
-前田さん-
ちょうど僕が香港へ渡った頃、コウズエベイという地区のキングスロードで、天安門事件追悼一周年のデモがありました。
学校の現地スタッフでさえ中国の不安定な社会情勢を恐れてカナダなどの北米に逃れる人が多かった時期でした。
僕が香港へ渡って3年目には、香港へ出戻る人々が増え始めていました。
追悼デモの様子
-アデ子-
出戻ってきたのは、情勢が落ち着いたからですか
-前田さん-
当時の香港はイギリスからの返還が目前に迫っていた頃で『中国とは違う新しい香港を作ろう!』をスローガンに、新しい香港アイデンティティを求めた民衆が敢えて、香港に留まったんです。ジャッキー・チェン(俳優)やアニタムイ(歌手)がその例ですね。
-アデ子-
地元を大切にしたいという想いが強かったのでしょうか。
-前田さん-
個人とナショナリティー。
民族的、文化的背景などに向き合い、どうやって折り合いをつけていくか。将来をどう見通していくか・・・。
与えられているもので生きるのではなく、選択しながら生きる。
香港から出ていくのか、出て行って中国で暮らすのか。
香港人としていきていくのか、中国人として生きていくのか、自分の生き方を香港の人達は選択しなければいけなかった。
そーゆーことってあるんだなぁ・・・と思いました。
僕にとっては大きな出来事でした。
-アデ子-
激動の香港で、前田さんは日本人学校の教師をされていたのですね。
そのときも絵は描き続けていたのですか
-前田さん-
はい。香港では個展を開きました
当時バブルの時期でギャラリーは沢山ありましたが、貸してくれる場所がなかなか見つからず
絵を抱えながら、オファーしては断られていました
そこで香港アートセンターに相談してみたら香港市政局が、香港ビジュアルアートセンターを貸してくれるということになってギャラリーではなく公立の美術館で個展をすることが出来ました
前田さんの作品
前田さんの作品
-アデ子-
凄い展開ですねΣ(・ω・ノ)ノ!
-前田さん-
香港がきっかけでアジアに関心が向き、その後はシンガポールの美術館で1年間勤務しました。
マーライオン
-アデ子-
海外に出ると意識や物事の考え方って変わりますか
-前田さん-
変わりますね。
香港もシンガポールも小さな地域という意味では沖縄とそんなに変わらない。なのに、国としてしっかり機能しているし、サバイバル感覚がある。苦しくても自分で決めてやっていくことを目の当たりにしました。
それに比べると沖縄は、補助金など日本政府に依存している面が強い上に、気持ち的にも自立できていない気がするんですよ。
-アデ子-
確かに・・・自立心って教育を通して徐々に培われていくものだと思いますが、いかがでしょう
-前田さん-
そうですね。アデ子さんは、シンガポールの教育制度を知っていますか
シンガポールでは12歳になるとPrimary School Leaving Examination(小学校の卒業試験)があります。テストの結果次第で大きく進路が左右されます。どういうことかというと、テストの結果が良ければ大学進学へ向けた教育へ進み、結果がふるわなかった子達は社会に出て役に立つような技術系の職業訓練に進みます。
それぞれの役割を認識しやすいですし、良い点数が取れた子は貧しくても博士課程までちゃんと国が面倒をみてくれます
-アデ子-
早い段階で将来を見据えた取り組みが始まるんですね
-前田さん-
そうです。大器晩成という言葉はシンガポールにはありません。
不思議だったのは、上位と下位を分けると差別に繋がる気もするけど、そんなことはないんですよ。
成績下位の子達が受ける職業訓練は優れていて収入も同等にある。テストを以て適性が決められ、自分自身の努力次第で望む仕事に就けるんです。
ちなみに、世界で実施されている学習到達度調査では毎回上位です。
項目は全部で3つ。読解力。数学的リテラシー、科学的リテラシー。
沖縄も学習到達度調査がありますが、無回答が多いんですよ。
意志表示や記述表現、特に言葉での表現が苦手な子が多いです。
-アデ子-
そういう能力って、どうすれば育てられると思いますか
-前田さん-
言葉の表現や意思表示などの能力を培うには、美術の授業が最適です。
美術って答えが1つではありませんから、自分が選択したものを正解にしていく。
絵は1人で見て分かることもあれば、みんなで見て分かることもある。
自分と全く違う価値観をもつ人、育ちが違う人と同じ絵を見て感覚の違いに気づくことで物事の見方が深まります。
「あなたの意見は尊重されていますよ!」と自己肯定感を育てること。あなたが喋っていることを皆がちゃんと聞いてくれている、という経験が大事なのです。
-アデ子-
なるほど
最後になりますが、前田さんが考える美術教育についてお聞かせください。
-前田さん-
学校とは本来、子ども達が自由に表現出来る環境を先生達がつくっていく場所だと思っています。
美術や音楽などの授業では、自分を好きになる瞬間、自分が認められる瞬間があります。そのことは一生自分を助けるし、生きる力にもなります。絵を描くこと、物を作ることって本来は楽しいんですね!その気持ちを育むのが美術教育だと思います。学校教育において美術の授業は大切ですね。
ちなみに海外では、自己主張しないと自分の場所が守れないですから、自分を信じて海外へ行ってみるのも良い経験になるでしょうね。
-アデ子-
アート作品を見るだけでなく、作品についていろんな人と感想を述べあうことも大事なんだなぁと思いました
-前田さん-
私はよく、子どもたちにゴッホの「ひまわり」の絵を見せて「どのひまわりが自分だと思う」と尋ねます。
大事なのは理由をちゃんと聞いて認めることです。
皆さんも試してみてください。いろんな意見が聞けて面白いですよ(^o^)
Interviewee:前田比呂也
Interviewer:アデ子・ごさまるお・ちゅら子
Tape transcription:アデ子
Editor:ごさまるお
Proofreader:プー子
2020年02月19日
CFP vol.40 金城亮さん・秋子さん
沖縄県読谷村には1422年に築城されたとされる座喜味城の跡があります。
この座喜味城址に近い場所でB&B(ベッド&ブレックファースト=民泊)を営んでいるご夫妻がいます
金城亮さんと秋子さんです。
お二人に「B&Bを始めたきっかけ」や「キャラの濃いゲストたちとの交流」、聞いて驚く「お二人の夢」などを伺ってきました(^o^)
-ちゅら子-
金城亮さん、秋子さん、そして・・・
-亮さん-
柴犬のハナです(゚∀゚)
かわいい
-ちゅら子-
お出迎えありがとうございます。本日は宜しくお願いします!
早速、お部屋を拝見させていただいていますが・・・床の間に飾られている書はどなたが書かれたんですか
-亮さん-
妻が書きました
ウチは海外から来られるゲストが多いので、書を紹介すると喜んでくれます。
モロッコ人(男性)とフランス人(女性)のカップルに妻が琉装を着付けて、ヘアメイクしたこともありました。この写真は書の前で記念撮影したときのものです。
-ちゅら子-
わぁーお琉球王国時代にタイムスリップしたみたい
金城さんたちのB&Bを利用されるゲストの皆さんは、沖縄の文化に興味があるんですか
-亮さん-
ある方が多いですよ~
僕たちは国際交流が目的なので、コミュニケーションを重視しています。
なので、妻が作った朝食を囲んで、ゲストと一緒に食べます。
-秋子さん-
食事を提供しない素泊まりだと会話がそんなに無いと思うので、朝ご飯を食べながらおしゃべりするんです(^-^)
台湾のゲストと台湾料理を一緒に作って食べたときの写真
-ちゅら子-
朝ご飯出すときに拘っていることってありますか
-秋子さん-
拘りというか・・・そうですね~、ご飯は玄米を出すことにしています。
食事の内容は、お味噌汁にハムや卵といった感じなんですが、私が好きだという理由で沖縄の「ゆし豆腐」を出すこともあります
あと、庭にドラゴンフルーツやレモンがなるんですね。野菜も育てているので、旬のフルーツや野菜を味わってもらいます!
丁度、庭にドラゴンフルーツとレモンがなっていますよ。後でお土産に持っていってください。
お土産にいただきました~
-ちゅら子-
ドラゴンフルーツ甘くて美味しいですよね~
ゲストもさぞ喜ぶと思いますが、食卓ではどのような言語が飛び交うんですか
-秋子さん-
主人は英語が話せるので、英語。
私は韓国語が話せるので、韓国の方とは韓国語で。
以前、韓国から親子(お父さんと娘)が来たんですね。お父さんの話すスピードが早すぎて何言っているのか分からなかったんですが(笑)、相槌をうったり、驚いたりすると、止めどなく話してきます。とにかく、面白いんですよ( *´艸`)
-ちゅら子-
先程、B&Bを営む理由に国際交流をあげていましたが、そもそもB&Bを始めたきっかけって何ですか
-亮さん-
僕たちは結婚した当初は浦添に住んでいましたが、妻の仕事(ブライダル)の関係で読谷のアパートに引っ越すことにしたんですね。
その頃、友人がAirbnb(エアビーアンドビー)という会社で働いていたのと・・・
たまたま、NHKの番組で、東京在住の70?か80代くらいのおばあちゃんが、英語は喋れないけど、外国人を自分家に泊めて朝ご飯出して楽しそうに話しているのを見て、ウチでもできるんじゃないのって思っちゃったんです
-ちゅら子-
お客さんってすぐに来るものなんですか
-秋子さん-
引っ越した当初はアパートに住んでいて、そこから真っ青な海が見えたんですね皆に自慢したいくらい綺麗で この景色は絶対に喜ばれるんじゃないかという自信もあって、主人と一緒に自慢の景色を写真に撮ってAirbnbにアップしたらすぐに問い合わせがあったんです(笑)
-ちゅら子-
ほー、とは言っても・・・沖縄にはB&Bって沢山ありますよね
私は那覇に住んでいますが、多いですよ~
そんな中、海の景色は確かに宣伝になるとは思いますが、他のB&Bからも海は見えるじゃないですか。
Airbnbというサイトで検索する中で、どうやって金城さんご夫妻のB&Bを見つけ出すんですかね
-秋子さん-
サイトで検索する際、条件にチェックを入れるんです
料金や部屋の広さ、朝食付きか、景観はどうか、拘りはあるのか、どこの言語を話すかなど。そうすると、ウチがヒットするようです
-ちゅら子-
じゃあ、英語と韓国語が話せるのは強みですね
-亮さん-
それと、宿泊後の感想をサイトに書くことができるので、ここの宿の人は韓国語が喋れるよと書かれると、たくさん集まってきます
-ちゅら子-
やはり、ロケーションだけでなく、コミュニケーションの部分で重視する方もいるということですね。
秋子さんはどちらで韓国語を勉強されたんですか
-秋子さん-
大学は国際関係の学部だったので東アジアには興味がありました
結婚した当初はKポップにハマっていて、独学で韓国語を勉強しました・・・。結構ミーハーです(笑)
-ちゅら子-
ちなみに・・・こちらを利用されるゲストはどこの国の方が多いですか
-亮さん-
アジアですね
韓国、台湾、香港、中国、この4ヶ国がだいたい90%以上を占めていて、とくに多いのが韓国です。
一度宿泊した香港のゲストが数か月後に母親を連れて来沖。読谷で一番美味しいレストランで夕食したときの写真
韓国のゲストと渡嘉敷島を訪れたときの写真
-ちゅら子-
秋子さんが韓国語喋れるからですね。
残りの10%は??
-亮さん-
10%は、ヨーロッパだったり、アメリカだったり・・・カナダ、マレーシア、シンガポール、モロッコ、サウジアラビアなどです。
オーストラリアからのゲスト。3週間宿泊!フォレスト・アドベンチャーに一緒に行ったときの写真
アメリカ人に三線を教えている場面
-ちゅら子-
私もAirbnbで金城さんたちのB&Bを検索したら、宿泊人数が2名まで!とありました。
-亮さん-
はい。3名以上となると、手薄になるというか・・・
丁寧に対応できないし、ちゃんとコミュニケーション取りたいんですよね
ポーランド人(男性)とフランス人(女性)のカップルと夕食
-ちゅら子-
訪ねてくるゲストは個性豊かな方が多い?と察しますが、お国柄といいますか、地域の特性ってありますか
-亮さん-
ありますね~、もちろん、個人の性格にもよりますが、大まかに国の特性が分かってきます。
例えば台湾の人は沖縄の人に似ていてノンビリしています
韓国人は内地に近いんじゃないかなぁ・・・常に時間に追われている印象を受けました。必ずアメリカンビレッジに行きますよ
中国人は琉球村に行きますね
香港は都会なだけあって時間に追われている感じはあるけど韓国とはちょっと違いますし、ドイツ人はルールを守って礼儀正しく、何でも興味を持って知りたがります
フランス人は文化に触れたいから博物館、美術館を回ります。豊見城市にある海軍壕に行ってきたよ!という人もいました。
あとは・・・アメリカから来たカップルがいて、彼らは空手の大会に合わせて来ていたので、うるま市の大先生のところに行きたいってことでウチに泊まりました。
-ちゅら子-
沖縄に興味を持ってくれるのは嬉しいですね
ドイツ人が礼儀正しいっておっしゃっていましたが、なぜそう思ったのですか
-亮さん-
僕たちが何も言わないのに、玄関で靴をぬいで並べていましたトイレを使ったあとも便器のフタをちゃんと閉めていましたし。
-秋子さん-
私たちの行動を見ていますね。
例えば、朝ご飯を食べていて、私たちがお皿を持っていたら、お皿を持って食べるとか
-ちゅら子-
秋子さんや亮さんの真似をするわけですね
-秋子さん-
そうです
ウチに来るってことは人の家に来るという意味で、その家のルールを知ろうとします。
これがもし部屋だけの提供だったら分かりませんが、一緒に食事もしますし、お手洗いとかバスルームは共有なので、元に戻すことを意識してたのかなぁ・・・って思います。
-ちゅら子-
外国の方って疑問に思ったことをがっつり聞いてきますよね
-亮さん-
そうですね、仲良くなればどんどん聞いてきますね。
例えば、フランス人の方だったかな「これだけ広大な基地があるのに、沖縄の人ってどう思っているの?」って聞かれたことがあります。
-秋子さん-
私たちから質問することもあります
北朝鮮のミサイル問題で日本が騒いでいるときに、韓国のゲストに「日本ではこうなっているけどそっちではどう?」と聞いたら「特に騒ぎもないし、全然気にしていない」と言われました。
-亮さん-
韓国ではぜんぜん気にしていないのに、離れている日本で大騒ぎ・・・みたいな
-ちゅら子-
ゲストの生の声を聞いているわけですから、どちらかと言えば、そっちの方がメディアより正確な情報ですよね。
沢山の出会いがあったと思いますが、初めて来たお客さんってすごく印象に残っていませんか?
-秋子さん-
初めてのお客さんはデンマーク人でしたサイトに載せたその日に問い合わせがあって。
主人から、「今日Airbnbにアップするよと!」と聞いてはいましたが、午後くらいにLINEで、「デンマーク人泊まるけどいい?」みたいな(笑)
しかも、「もうバスに乗ったらしい。こっちに向かっているらしい・・・」みたいな(笑)
-ちゅら子-
載せてすぐってスゴイですねΣ(・ω・ノ)ノ!
デンマーク人には何がヒットしたんだろう?
-亮さん-
「サーフィンしたい・・・」みたいな(笑)海の写真が良かったんでしょうね
彼らは夕方に到着したんですけど、僕は三線の稽古に行かないといけなくて(笑)
サイトに載せたからにはキャンセルはできないし、英語が話せない妻を1人にするわけにもいかないので、稽古場にきてもらいました。180cmもある大男が2人圧倒されましたよ(笑)ちなみに、僕は古典音楽をしていまして、古典は1曲15分くらいあって正座で三線を弾きます驚いたことに、デンマーク人も終始、正座して動画を録っていました何も言っていないのに、空気を読んだんでしょうね。
で、帰りの車中で「こういう体験がしたかったんだ!!」とか、「あの曲良かったよ!」とか、「最初に弾いた《かぎやで風》の意味を教えてくれないか?」って言いだして(笑)
比喩的な表現なので英語で説明するのは難しかったんですけど・・・心は通じたと思うので良かったです(笑)
-ちゅら子-
沖縄で過ごしたゲストは最後に何を感じて帰るんですかね
-亮さん-
ウチに来る前にある程度沖縄のことは調べてくるじゃないですか。
その時は、たぶん、日本の一部で海が綺麗とかそんな感じで来ると思うんですけど、帰るときには、僕らだけではなく沖縄の人たちと接してみて「人が優しい」とか、実際に海に行って「写真よりも綺麗でビックリした」とか、妻の料理やお店で食事して「ご飯が美味しかった」とか、感想を言ってくれますね
-ちゅら子-
ゲストが国へ帰った後も彼らとの交流はありますか
-秋子さん-
ありますね~
FacebookやLINEで繋がっている人もいるので連絡を取りあって、彼らのところへ遊びに行くこともあります
今年は台湾と韓国に行ってきました
主人もよく言いますが、「世界中に友達ができて、しかも、お金を払ってウチに来てくれるなんてラッキーだよね!!」って言うんです(笑)
台湾へ行ったときの写真
韓国
韓国料理
-ちゅら子-
たしかにそうだ!(笑)
ただ・・・顔も知らない、話しもしたことのない人が泊まりにくるってちょっと不安じゃないですか
相手を理解しようとか、受け入れる心がないとできないですよね
お二人は今後もB&Bを続けていくと思いますが、目標ってありますか
-亮さん-
近い将来ですが、以前ウチに泊まった韓国の子がソウルに住んでいて、その子に会いに行ったときに盛り上がったことがありまして・・・。
「お互いのお家を交換してみようかっ」て(゚∀゚)
-ちゅら子-
えっ家を交換
-秋子さん-
はい(゚∀゚)
その韓国の子のお家と私たちのウチを1ヵ月間交換して、そのときに感じたことを記録に残して本にしようと考えています。
-ちゅら子-
異文化を受け入れて交流することで何がみえるのか面白そうですね!!
近い将来・・・ってことは、更に目標があるんですか
-亮さん-
はい(゚∀゚)
将来的には、ドイツに住みたいなぁと思っています。
ウチに来たゲストが素晴らしかったっていうのもありますが、ドイツって動物にも環境にも優しいんですね。
-ちゅら子-
ドイツのイメージはエコ&有機農業ですね
-亮さん-
まさにそうです。
食事に関しては、身体に悪いものは取り入れないし、一生懸命頑張っている人を支援する。例えば、良いものを口にするためには有機野菜が多少高くても買います。農家さんにちゃんとお金がいくシステムになっています。なので、どんな国なのか、まずは行ってみようと思います。
-ちゅら子-
ドイツは医療や教育にも熱心ですよね。私も気になります
お二人が実際に韓国の方と家を交換して戻ってきたときに、ぜひ!お話を聞かせてください(笑)
楽しみに待っています
B&Bから近いビーチ
Interviewee:金城亮・秋子
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Tape transcription:ハルサー太郎
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子
この座喜味城址に近い場所でB&B(ベッド&ブレックファースト=民泊)を営んでいるご夫妻がいます
金城亮さんと秋子さんです。
お二人に「B&Bを始めたきっかけ」や「キャラの濃いゲストたちとの交流」、聞いて驚く「お二人の夢」などを伺ってきました(^o^)
-ちゅら子-
金城亮さん、秋子さん、そして・・・
-亮さん-
柴犬のハナです(゚∀゚)
かわいい
-ちゅら子-
お出迎えありがとうございます。本日は宜しくお願いします!
早速、お部屋を拝見させていただいていますが・・・床の間に飾られている書はどなたが書かれたんですか
-亮さん-
妻が書きました
ウチは海外から来られるゲストが多いので、書を紹介すると喜んでくれます。
モロッコ人(男性)とフランス人(女性)のカップルに妻が琉装を着付けて、ヘアメイクしたこともありました。この写真は書の前で記念撮影したときのものです。
-ちゅら子-
わぁーお琉球王国時代にタイムスリップしたみたい
金城さんたちのB&Bを利用されるゲストの皆さんは、沖縄の文化に興味があるんですか
-亮さん-
ある方が多いですよ~
僕たちは国際交流が目的なので、コミュニケーションを重視しています。
なので、妻が作った朝食を囲んで、ゲストと一緒に食べます。
-秋子さん-
食事を提供しない素泊まりだと会話がそんなに無いと思うので、朝ご飯を食べながらおしゃべりするんです(^-^)
台湾のゲストと台湾料理を一緒に作って食べたときの写真
-ちゅら子-
朝ご飯出すときに拘っていることってありますか
-秋子さん-
拘りというか・・・そうですね~、ご飯は玄米を出すことにしています。
食事の内容は、お味噌汁にハムや卵といった感じなんですが、私が好きだという理由で沖縄の「ゆし豆腐」を出すこともあります
あと、庭にドラゴンフルーツやレモンがなるんですね。野菜も育てているので、旬のフルーツや野菜を味わってもらいます!
丁度、庭にドラゴンフルーツとレモンがなっていますよ。後でお土産に持っていってください。
お土産にいただきました~
-ちゅら子-
ドラゴンフルーツ甘くて美味しいですよね~
ゲストもさぞ喜ぶと思いますが、食卓ではどのような言語が飛び交うんですか
-秋子さん-
主人は英語が話せるので、英語。
私は韓国語が話せるので、韓国の方とは韓国語で。
以前、韓国から親子(お父さんと娘)が来たんですね。お父さんの話すスピードが早すぎて何言っているのか分からなかったんですが(笑)、相槌をうったり、驚いたりすると、止めどなく話してきます。とにかく、面白いんですよ( *´艸`)
-ちゅら子-
先程、B&Bを営む理由に国際交流をあげていましたが、そもそもB&Bを始めたきっかけって何ですか
-亮さん-
僕たちは結婚した当初は浦添に住んでいましたが、妻の仕事(ブライダル)の関係で読谷のアパートに引っ越すことにしたんですね。
その頃、友人がAirbnb(エアビーアンドビー)という会社で働いていたのと・・・
たまたま、NHKの番組で、東京在住の70?か80代くらいのおばあちゃんが、英語は喋れないけど、外国人を自分家に泊めて朝ご飯出して楽しそうに話しているのを見て、ウチでもできるんじゃないのって思っちゃったんです
-ちゅら子-
お客さんってすぐに来るものなんですか
-秋子さん-
引っ越した当初はアパートに住んでいて、そこから真っ青な海が見えたんですね皆に自慢したいくらい綺麗で この景色は絶対に喜ばれるんじゃないかという自信もあって、主人と一緒に自慢の景色を写真に撮ってAirbnbにアップしたらすぐに問い合わせがあったんです(笑)
-ちゅら子-
ほー、とは言っても・・・沖縄にはB&Bって沢山ありますよね
私は那覇に住んでいますが、多いですよ~
そんな中、海の景色は確かに宣伝になるとは思いますが、他のB&Bからも海は見えるじゃないですか。
Airbnbというサイトで検索する中で、どうやって金城さんご夫妻のB&Bを見つけ出すんですかね
-秋子さん-
サイトで検索する際、条件にチェックを入れるんです
料金や部屋の広さ、朝食付きか、景観はどうか、拘りはあるのか、どこの言語を話すかなど。そうすると、ウチがヒットするようです
-ちゅら子-
じゃあ、英語と韓国語が話せるのは強みですね
-亮さん-
それと、宿泊後の感想をサイトに書くことができるので、ここの宿の人は韓国語が喋れるよと書かれると、たくさん集まってきます
-ちゅら子-
やはり、ロケーションだけでなく、コミュニケーションの部分で重視する方もいるということですね。
秋子さんはどちらで韓国語を勉強されたんですか
-秋子さん-
大学は国際関係の学部だったので東アジアには興味がありました
結婚した当初はKポップにハマっていて、独学で韓国語を勉強しました・・・。結構ミーハーです(笑)
-ちゅら子-
ちなみに・・・こちらを利用されるゲストはどこの国の方が多いですか
-亮さん-
アジアですね
韓国、台湾、香港、中国、この4ヶ国がだいたい90%以上を占めていて、とくに多いのが韓国です。
一度宿泊した香港のゲストが数か月後に母親を連れて来沖。読谷で一番美味しいレストランで夕食したときの写真
韓国のゲストと渡嘉敷島を訪れたときの写真
-ちゅら子-
秋子さんが韓国語喋れるからですね。
残りの10%は??
-亮さん-
10%は、ヨーロッパだったり、アメリカだったり・・・カナダ、マレーシア、シンガポール、モロッコ、サウジアラビアなどです。
オーストラリアからのゲスト。3週間宿泊!フォレスト・アドベンチャーに一緒に行ったときの写真
アメリカ人に三線を教えている場面
-ちゅら子-
私もAirbnbで金城さんたちのB&Bを検索したら、宿泊人数が2名まで!とありました。
-亮さん-
はい。3名以上となると、手薄になるというか・・・
丁寧に対応できないし、ちゃんとコミュニケーション取りたいんですよね
ポーランド人(男性)とフランス人(女性)のカップルと夕食
-ちゅら子-
訪ねてくるゲストは個性豊かな方が多い?と察しますが、お国柄といいますか、地域の特性ってありますか
-亮さん-
ありますね~、もちろん、個人の性格にもよりますが、大まかに国の特性が分かってきます。
例えば台湾の人は沖縄の人に似ていてノンビリしています
韓国人は内地に近いんじゃないかなぁ・・・常に時間に追われている印象を受けました。必ずアメリカンビレッジに行きますよ
中国人は琉球村に行きますね
香港は都会なだけあって時間に追われている感じはあるけど韓国とはちょっと違いますし、ドイツ人はルールを守って礼儀正しく、何でも興味を持って知りたがります
フランス人は文化に触れたいから博物館、美術館を回ります。豊見城市にある海軍壕に行ってきたよ!という人もいました。
あとは・・・アメリカから来たカップルがいて、彼らは空手の大会に合わせて来ていたので、うるま市の大先生のところに行きたいってことでウチに泊まりました。
-ちゅら子-
沖縄に興味を持ってくれるのは嬉しいですね
ドイツ人が礼儀正しいっておっしゃっていましたが、なぜそう思ったのですか
-亮さん-
僕たちが何も言わないのに、玄関で靴をぬいで並べていましたトイレを使ったあとも便器のフタをちゃんと閉めていましたし。
-秋子さん-
私たちの行動を見ていますね。
例えば、朝ご飯を食べていて、私たちがお皿を持っていたら、お皿を持って食べるとか
-ちゅら子-
秋子さんや亮さんの真似をするわけですね
-秋子さん-
そうです
ウチに来るってことは人の家に来るという意味で、その家のルールを知ろうとします。
これがもし部屋だけの提供だったら分かりませんが、一緒に食事もしますし、お手洗いとかバスルームは共有なので、元に戻すことを意識してたのかなぁ・・・って思います。
-ちゅら子-
外国の方って疑問に思ったことをがっつり聞いてきますよね
-亮さん-
そうですね、仲良くなればどんどん聞いてきますね。
例えば、フランス人の方だったかな「これだけ広大な基地があるのに、沖縄の人ってどう思っているの?」って聞かれたことがあります。
-秋子さん-
私たちから質問することもあります
北朝鮮のミサイル問題で日本が騒いでいるときに、韓国のゲストに「日本ではこうなっているけどそっちではどう?」と聞いたら「特に騒ぎもないし、全然気にしていない」と言われました。
-亮さん-
韓国ではぜんぜん気にしていないのに、離れている日本で大騒ぎ・・・みたいな
-ちゅら子-
ゲストの生の声を聞いているわけですから、どちらかと言えば、そっちの方がメディアより正確な情報ですよね。
沢山の出会いがあったと思いますが、初めて来たお客さんってすごく印象に残っていませんか?
-秋子さん-
初めてのお客さんはデンマーク人でしたサイトに載せたその日に問い合わせがあって。
主人から、「今日Airbnbにアップするよと!」と聞いてはいましたが、午後くらいにLINEで、「デンマーク人泊まるけどいい?」みたいな(笑)
しかも、「もうバスに乗ったらしい。こっちに向かっているらしい・・・」みたいな(笑)
-ちゅら子-
載せてすぐってスゴイですねΣ(・ω・ノ)ノ!
デンマーク人には何がヒットしたんだろう?
-亮さん-
「サーフィンしたい・・・」みたいな(笑)海の写真が良かったんでしょうね
彼らは夕方に到着したんですけど、僕は三線の稽古に行かないといけなくて(笑)
サイトに載せたからにはキャンセルはできないし、英語が話せない妻を1人にするわけにもいかないので、稽古場にきてもらいました。180cmもある大男が2人圧倒されましたよ(笑)ちなみに、僕は古典音楽をしていまして、古典は1曲15分くらいあって正座で三線を弾きます驚いたことに、デンマーク人も終始、正座して動画を録っていました何も言っていないのに、空気を読んだんでしょうね。
で、帰りの車中で「こういう体験がしたかったんだ!!」とか、「あの曲良かったよ!」とか、「最初に弾いた《かぎやで風》の意味を教えてくれないか?」って言いだして(笑)
比喩的な表現なので英語で説明するのは難しかったんですけど・・・心は通じたと思うので良かったです(笑)
-ちゅら子-
沖縄で過ごしたゲストは最後に何を感じて帰るんですかね
-亮さん-
ウチに来る前にある程度沖縄のことは調べてくるじゃないですか。
その時は、たぶん、日本の一部で海が綺麗とかそんな感じで来ると思うんですけど、帰るときには、僕らだけではなく沖縄の人たちと接してみて「人が優しい」とか、実際に海に行って「写真よりも綺麗でビックリした」とか、妻の料理やお店で食事して「ご飯が美味しかった」とか、感想を言ってくれますね
-ちゅら子-
ゲストが国へ帰った後も彼らとの交流はありますか
-秋子さん-
ありますね~
FacebookやLINEで繋がっている人もいるので連絡を取りあって、彼らのところへ遊びに行くこともあります
今年は台湾と韓国に行ってきました
主人もよく言いますが、「世界中に友達ができて、しかも、お金を払ってウチに来てくれるなんてラッキーだよね!!」って言うんです(笑)
台湾へ行ったときの写真
韓国
韓国料理
-ちゅら子-
たしかにそうだ!(笑)
ただ・・・顔も知らない、話しもしたことのない人が泊まりにくるってちょっと不安じゃないですか
相手を理解しようとか、受け入れる心がないとできないですよね
お二人は今後もB&Bを続けていくと思いますが、目標ってありますか
-亮さん-
近い将来ですが、以前ウチに泊まった韓国の子がソウルに住んでいて、その子に会いに行ったときに盛り上がったことがありまして・・・。
「お互いのお家を交換してみようかっ」て(゚∀゚)
-ちゅら子-
えっ家を交換
-秋子さん-
はい(゚∀゚)
その韓国の子のお家と私たちのウチを1ヵ月間交換して、そのときに感じたことを記録に残して本にしようと考えています。
-ちゅら子-
異文化を受け入れて交流することで何がみえるのか面白そうですね!!
近い将来・・・ってことは、更に目標があるんですか
-亮さん-
はい(゚∀゚)
将来的には、ドイツに住みたいなぁと思っています。
ウチに来たゲストが素晴らしかったっていうのもありますが、ドイツって動物にも環境にも優しいんですね。
-ちゅら子-
ドイツのイメージはエコ&有機農業ですね
-亮さん-
まさにそうです。
食事に関しては、身体に悪いものは取り入れないし、一生懸命頑張っている人を支援する。例えば、良いものを口にするためには有機野菜が多少高くても買います。農家さんにちゃんとお金がいくシステムになっています。なので、どんな国なのか、まずは行ってみようと思います。
-ちゅら子-
ドイツは医療や教育にも熱心ですよね。私も気になります
お二人が実際に韓国の方と家を交換して戻ってきたときに、ぜひ!お話を聞かせてください(笑)
楽しみに待っています
B&Bから近いビーチ
Interviewee:金城亮・秋子
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Tape transcription:ハルサー太郎
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子
2020年01月27日
CFP vol.39 アレキサンダー・ヤスオ・大沢さん
車整備&修理のことなら~ブラジル出身のアレキサンダー・ヤスオ・大沢さん(以下、アレックスさん)にお任せ~というくらい巷では有名なアレックスさん!!彼はなぜ、沖縄で大好きな機械いじり(車整備)をすることになったのでしょう?故郷ブラジル料理を食べながら、お話しました(#^.^#)
人生って何があるかわからない
-ちゅら子-
はいたーい
車が欲しくて・・・中古車を雑誌で探していたら、ここに辿り着きました(笑)
-アレックスさん-
ようこそ、「レインボート」へ(笑)
カーアドバイザーのアレックスです
-ちゅら子-
今、整備されている車は沖縄で結構走っていて人気車ですよね
-アレックスさん-
この車はね~、錆びるのが結構早いので僕はおススメしません(笑)
-ちゅら子-
そんなこと言っちゃっていいですか(笑)
-アレックスさん-
だって本当の事だから(笑)
どの車もそうですけど、メンテナンスをまめにすると長く乗ることができますよ。
僕ならラパンおススメします自分も乗ってるんで(笑)
-ちゅら子-
アレックスさんって何か、親近感湧きますね
どちらの出身ですか
-アレックスさん-
ブラジルです
-ちゅら子-
ブラジルと言えば、サンバ陽気で明るいイメージがあります
お友達になってください
-アレックスさん-
ブラジルの人は陽気でフレンドリーよ~僕でよければ
とうことで・・・・
アレックスさんがおススメするブラジル料理屋店「Bovino’s」でお話することになり、連れていってもらいました
-アレックさん-
ブラジル料理と言えば、シュラスコね!
肉を串に刺して、調理人がお客さんの席をまわりながらお客さんの食べたい分だけカットする!というのがブラジルスタイルね。テーブルにカードがあるでしょ?今はブルーだけど、ひっくり返すとレッドになるでしょ。レッドにしないとシュラスコは続くからね(笑)
-ちゅら子-
赤にしないと永遠にお肉が来るわけですね!おもしろい!!
-アレックスさん-
Bovino’sでは、シュラスコを楽しみながらビュッフェでサラダとかデザートとか、僕の大好きなフェジョアーダ(豆料理)も食べられるから、ブラジルの家庭料理も楽しめます。
フェジョアーダは、豚肉・牛肉・ソーセージ・黒豆を一緒に煮込んだ料理で、ご飯の上にかけます。さらにファロファ(キャッサバ芋粉ベースの調味料)をかけると超美味しいんですよ
ブラジルでは週に2回食べるほどポピュラーな家庭料理で、もともと、奴隷にさせられていたアフリカの人たちが作った料理なんです。お金持ちの人たちは牛・豚の内蔵は食べずに処分していたので、それを活用して豆と炒めたり、スープにしたことでフェジョアーダがうまれたんです。
-ちゅら子-
こんなに美味しい豆料理があるんですね!!身体にも優しい味だし、ファロファの触感もたまりません。
-アレックスさん-
これ、見て!?
-ちゅら子-
パイナップルが丸々一個、刀みたいな串に刺さっていますね・・・しかも焼かれてますね!!
-アレックスさん-
このパイナップルを薄く切ってお皿に並べるでしょ。そこに、シナモンと砂糖をかけて食べます。
どうぞ!
-ちゅら子-
シナモンの風味が利いていて、めちゃくちゃ、美味しいですね!!
あっという間にたいらげてしまいました
-アレックスさん-
ラム酒とも合うんですよ
お酒を飲んだら大体、踊っちゃうのがブラジル人!!
サンバはブラジルの文化だから、いつでも体が動くね(笑)
-ちゅら子-
沖縄も一緒ですよカチャーシーみたい
ブラジルって、リオのカーニバルが有名で皆サンバを踊れるというか、ノリがいいですよね
熱くて陽気な人々というイメージはありますが、治安が悪い印象も拭えません。銃の所持が許されているとなると、ちょっと不安です。。。
-アレックスさん-
確かに治安が悪い場所はあります。銃を所持して自衛するのもブラジルでは認められているので、当たり前のことですが、危険な場所には近づかないことですね。
-ちゅら子-
アレックスさんも銃を所持していたのですか?
-アレックスさん-
わたしは元々陸軍の特殊部隊にいました。
ブラジルでは16歳になると軍に入ります。軍の学校に通い、警察か軍人になるか選ぶんですが、わたしは軍を選びました。
・・・・
ちゅら子さん・・・
地獄の色って何色だと思いますか・・・?
-ちゅら子-
え・・・
赤?黒ですかね・・・?
-アレックスさん-
多くの人は赤とか黒と答えるけど、自分にとって地獄の色は緑です。
-ちゅらこ-
緑??どうしてですか?
-アレキサンダー-
僕たちはヘリコプターでジャングル(アマゾン)の真ん中に降ろされます。そこでは自分たちで食料を調達して生き延びることをしなければなりません。常に死と隣り合わせで命を落とす危険を伴います。だから僕たち軍人にとって「緑」は死に近い色なのです。
-ちゅら子-
ジャングルの緑が地獄の色・・・
ジャングルで最も危険なことは何ですか
-アレックスさん-
毒グモですね特にアマゾンにいる毒蜘蛛にやられると死にます。中には小さい毒蜘蛛もいて、小さすぎるので服の中に入っても分からない!!夜なんか、見えないのですごく怖いですよ。
もちろん、アナコンダとか蟻とか、ヒルが地上にいますが、川にはサメ、ピラニアなどもいるわけですから、そこら中危険ですね
-ちゅら子-
もし・・・刺されたたらどうなるんですか‥
-アレキサンダー-
軍人は緊急バックの中に薬や注射などが準備されているので、自分で治療します
点滴も自分でします。
-ちゅら子-
訓練の期間ってどれくらいですか
-アレックスさん-
陸軍としての訓練はジャングルで2ヶ月ほど。
それから、バッチをもらって特殊部隊として4ヶ月間と8ヶ月間のサバイバル訓練に参加しました。
ヘリコプターは僕たちを降ろしてさっさと基地に戻ってしまいます。本当に緊急のときだけ無線機を使うことができます。
実際、戦地にも行きましたよ。湾岸戦争です。
-美ら子-
湾岸戦争ですか・・・
拒むことはできないんですよね・・・?
-アレキサンダー-
はい。当時は誇りを持って行きました。
拒むことはできませんね、命令ですから。命令を拒むと軍法違反になるので、軍法裁判にかけられ刑務所へ行くことになります。誇りを持って任務を果たしました。辛い訓練にも耐え乗り越えてきたけど、戦争から帰ったあと、自分は軍人であるけれど人を殺すために生まれてきたのか?と考えるようになりました。仲間を失うのも見たくないですし・・・。それで軍を辞めました。
陸軍に所属していた頃のアレックスさん
-ちゅら子-
軍を辞めても、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)で悩む人が多いと聞きますが・・・
-アレックスさん-
僕は今でも深い眠りに就けず朝4時には目が覚めてしまいます。小さな物音でも目が覚めますね。沖縄が安全だと分かっていても、こればかりは・・・。
-ちゅら子-
辛いですね・・・
沖縄の上空を飛び回る戦闘機やオスプレイ、軍用機を見ると、実際に墜落した現場も見たことがあるので、怖いし、県民の頭上に飛ばないでとは思います。
-アレックスさん-
ちゅら子さんの気持ちもわかります。でも、軍人にしかわからない部分もありますね。
実際に戦地にいった僕もいろいろ考えますが、国の命令は絶対ですからね。
-ちゅら子-
アレックスさんはどうして沖縄へ来たのですか
-アレックスさん-
僕の父はイタリア人で母は日本人、二人とも第二次世界大戦後の移民政策でブラジルへ渡りました。
僕が初めて日本へ行ったのは1991年です。母が群馬県出身なので、日本で会社を経緯営している親戚の叔父さんのところで僕も働くことにしました。休みの日になると、海が好きで色々な島へ行ってダイビングをしました。
海と言えば、沖縄!!行かずにはいられませんよね(笑)実際、沖縄に行くと、ブラジルと似ていて気候が温かく過ごしやすい!沖縄に住もう、と決めて 1998年に沖縄に来ました。沖縄で生活して21年になります。
今の仕事に就いたのは、軍人だった父親からメカニックのことを教えてもらい、小さい頃から機械いじりが好きだったのと、軍にいたときも、自分で機械を操作したりメンテナンスをしたりすることが多かったので、好きなことして稼ごうと思ったからです
-ちゅら子-
沖縄での生活はいかがですか
-アレックスさん-
沖縄の人と結婚して息子も生まれたので幸せですよ。息子が成人して孫ができるまでは健康でいたいので、お酒を飲まず、フェジョアーダを食べて平和に過ごします今度、嫁と会ってくださいシュラスコでも食べながらおしゃべりしましょう
-ちゅら子-
はい
ブラジル料理が本格的に堪能できるお店が沖縄にあったとは驚きでした。また、ここで会いましょう。
Interviewee:アレキサンダー・ヤスオ・大沢さん
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Tape transcription:お紅
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子
人生って何があるかわからない
-ちゅら子-
はいたーい
車が欲しくて・・・中古車を雑誌で探していたら、ここに辿り着きました(笑)
-アレックスさん-
ようこそ、「レインボート」へ(笑)
カーアドバイザーのアレックスです
-ちゅら子-
今、整備されている車は沖縄で結構走っていて人気車ですよね
-アレックスさん-
この車はね~、錆びるのが結構早いので僕はおススメしません(笑)
-ちゅら子-
そんなこと言っちゃっていいですか(笑)
-アレックスさん-
だって本当の事だから(笑)
どの車もそうですけど、メンテナンスをまめにすると長く乗ることができますよ。
僕ならラパンおススメします自分も乗ってるんで(笑)
-ちゅら子-
アレックスさんって何か、親近感湧きますね
どちらの出身ですか
-アレックスさん-
ブラジルです
-ちゅら子-
ブラジルと言えば、サンバ陽気で明るいイメージがあります
お友達になってください
-アレックスさん-
ブラジルの人は陽気でフレンドリーよ~僕でよければ
とうことで・・・・
アレックスさんがおススメするブラジル料理屋店「Bovino’s」でお話することになり、連れていってもらいました
-アレックさん-
ブラジル料理と言えば、シュラスコね!
肉を串に刺して、調理人がお客さんの席をまわりながらお客さんの食べたい分だけカットする!というのがブラジルスタイルね。テーブルにカードがあるでしょ?今はブルーだけど、ひっくり返すとレッドになるでしょ。レッドにしないとシュラスコは続くからね(笑)
-ちゅら子-
赤にしないと永遠にお肉が来るわけですね!おもしろい!!
-アレックスさん-
Bovino’sでは、シュラスコを楽しみながらビュッフェでサラダとかデザートとか、僕の大好きなフェジョアーダ(豆料理)も食べられるから、ブラジルの家庭料理も楽しめます。
フェジョアーダは、豚肉・牛肉・ソーセージ・黒豆を一緒に煮込んだ料理で、ご飯の上にかけます。さらにファロファ(キャッサバ芋粉ベースの調味料)をかけると超美味しいんですよ
ブラジルでは週に2回食べるほどポピュラーな家庭料理で、もともと、奴隷にさせられていたアフリカの人たちが作った料理なんです。お金持ちの人たちは牛・豚の内蔵は食べずに処分していたので、それを活用して豆と炒めたり、スープにしたことでフェジョアーダがうまれたんです。
-ちゅら子-
こんなに美味しい豆料理があるんですね!!身体にも優しい味だし、ファロファの触感もたまりません。
-アレックスさん-
これ、見て!?
-ちゅら子-
パイナップルが丸々一個、刀みたいな串に刺さっていますね・・・しかも焼かれてますね!!
-アレックスさん-
このパイナップルを薄く切ってお皿に並べるでしょ。そこに、シナモンと砂糖をかけて食べます。
どうぞ!
-ちゅら子-
シナモンの風味が利いていて、めちゃくちゃ、美味しいですね!!
あっという間にたいらげてしまいました
-アレックスさん-
ラム酒とも合うんですよ
お酒を飲んだら大体、踊っちゃうのがブラジル人!!
サンバはブラジルの文化だから、いつでも体が動くね(笑)
-ちゅら子-
沖縄も一緒ですよカチャーシーみたい
ブラジルって、リオのカーニバルが有名で皆サンバを踊れるというか、ノリがいいですよね
熱くて陽気な人々というイメージはありますが、治安が悪い印象も拭えません。銃の所持が許されているとなると、ちょっと不安です。。。
-アレックスさん-
確かに治安が悪い場所はあります。銃を所持して自衛するのもブラジルでは認められているので、当たり前のことですが、危険な場所には近づかないことですね。
-ちゅら子-
アレックスさんも銃を所持していたのですか?
-アレックスさん-
わたしは元々陸軍の特殊部隊にいました。
ブラジルでは16歳になると軍に入ります。軍の学校に通い、警察か軍人になるか選ぶんですが、わたしは軍を選びました。
・・・・
ちゅら子さん・・・
地獄の色って何色だと思いますか・・・?
-ちゅら子-
え・・・
赤?黒ですかね・・・?
-アレックスさん-
多くの人は赤とか黒と答えるけど、自分にとって地獄の色は緑です。
-ちゅらこ-
緑??どうしてですか?
-アレキサンダー-
僕たちはヘリコプターでジャングル(アマゾン)の真ん中に降ろされます。そこでは自分たちで食料を調達して生き延びることをしなければなりません。常に死と隣り合わせで命を落とす危険を伴います。だから僕たち軍人にとって「緑」は死に近い色なのです。
-ちゅら子-
ジャングルの緑が地獄の色・・・
ジャングルで最も危険なことは何ですか
-アレックスさん-
毒グモですね特にアマゾンにいる毒蜘蛛にやられると死にます。中には小さい毒蜘蛛もいて、小さすぎるので服の中に入っても分からない!!夜なんか、見えないのですごく怖いですよ。
もちろん、アナコンダとか蟻とか、ヒルが地上にいますが、川にはサメ、ピラニアなどもいるわけですから、そこら中危険ですね
-ちゅら子-
もし・・・刺されたたらどうなるんですか‥
-アレキサンダー-
軍人は緊急バックの中に薬や注射などが準備されているので、自分で治療します
点滴も自分でします。
-ちゅら子-
訓練の期間ってどれくらいですか
-アレックスさん-
陸軍としての訓練はジャングルで2ヶ月ほど。
それから、バッチをもらって特殊部隊として4ヶ月間と8ヶ月間のサバイバル訓練に参加しました。
ヘリコプターは僕たちを降ろしてさっさと基地に戻ってしまいます。本当に緊急のときだけ無線機を使うことができます。
実際、戦地にも行きましたよ。湾岸戦争です。
-美ら子-
湾岸戦争ですか・・・
拒むことはできないんですよね・・・?
-アレキサンダー-
はい。当時は誇りを持って行きました。
拒むことはできませんね、命令ですから。命令を拒むと軍法違反になるので、軍法裁判にかけられ刑務所へ行くことになります。誇りを持って任務を果たしました。辛い訓練にも耐え乗り越えてきたけど、戦争から帰ったあと、自分は軍人であるけれど人を殺すために生まれてきたのか?と考えるようになりました。仲間を失うのも見たくないですし・・・。それで軍を辞めました。
陸軍に所属していた頃のアレックスさん
-ちゅら子-
軍を辞めても、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)で悩む人が多いと聞きますが・・・
-アレックスさん-
僕は今でも深い眠りに就けず朝4時には目が覚めてしまいます。小さな物音でも目が覚めますね。沖縄が安全だと分かっていても、こればかりは・・・。
-ちゅら子-
辛いですね・・・
沖縄の上空を飛び回る戦闘機やオスプレイ、軍用機を見ると、実際に墜落した現場も見たことがあるので、怖いし、県民の頭上に飛ばないでとは思います。
-アレックスさん-
ちゅら子さんの気持ちもわかります。でも、軍人にしかわからない部分もありますね。
実際に戦地にいった僕もいろいろ考えますが、国の命令は絶対ですからね。
-ちゅら子-
アレックスさんはどうして沖縄へ来たのですか
-アレックスさん-
僕の父はイタリア人で母は日本人、二人とも第二次世界大戦後の移民政策でブラジルへ渡りました。
僕が初めて日本へ行ったのは1991年です。母が群馬県出身なので、日本で会社を経緯営している親戚の叔父さんのところで僕も働くことにしました。休みの日になると、海が好きで色々な島へ行ってダイビングをしました。
海と言えば、沖縄!!行かずにはいられませんよね(笑)実際、沖縄に行くと、ブラジルと似ていて気候が温かく過ごしやすい!沖縄に住もう、と決めて 1998年に沖縄に来ました。沖縄で生活して21年になります。
今の仕事に就いたのは、軍人だった父親からメカニックのことを教えてもらい、小さい頃から機械いじりが好きだったのと、軍にいたときも、自分で機械を操作したりメンテナンスをしたりすることが多かったので、好きなことして稼ごうと思ったからです
-ちゅら子-
沖縄での生活はいかがですか
-アレックスさん-
沖縄の人と結婚して息子も生まれたので幸せですよ。息子が成人して孫ができるまでは健康でいたいので、お酒を飲まず、フェジョアーダを食べて平和に過ごします今度、嫁と会ってくださいシュラスコでも食べながらおしゃべりしましょう
-ちゅら子-
はい
ブラジル料理が本格的に堪能できるお店が沖縄にあったとは驚きでした。また、ここで会いましょう。
Interviewee:アレキサンダー・ヤスオ・大沢さん
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Tape transcription:お紅
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子
2019年12月27日
CFP vol.38 キム・ソンムクさん
“アニョハセヨ~!!!”
那覇市の裁判所通りにある韓国料理店「チング家」に入ると、店長のキム・ソンムクさんが元気の良い声で暖かく迎えてくれました。
そのお店の外壁には大きく書かれた「薬膳」、「スッポン」の文字が目に留まります!!数ある韓国料理店の中でも薬膳を全面に出している所はなかなかお目にかかれないのではないでしょうか!?
韓国といえば韓流ドラマですね!!
「チャングム」にハマってた人も多いと思いますその影響もあって、東洋医学の概念を食べて体感したいと思い、沖縄で韓国料理店を営むキム・ソンムクさんに「韓国料理の魅力」を伺ってきました★
-ごさまるお-
こんにちは~ 今日は韓国料理について色々教えて下さい!
-キムさん-
僕でよければ
-ごさまるお-
早速ですが、キムさんは韓国出身ですか?
-キムさん-
はいそうです!
-ごさまるお-
どうして沖縄で韓国料理店をされているのですか?!?
-キムさん-
沖縄出身の妻との結婚を機に沖縄に住みたいと思い19年前に移住しました
妻との出逢いは彼女が韓国旅行していた時なのですが、寒い所が苦手な僕にとって沖縄は常夏の島!ハワイみたいで憧れていました沖縄の人は優しいですし。
-ごさまるお-
へぇ~ 旅先で実った恋 ドラマみたいです
チング家は、キムさんが沖縄にきてすぐにオープンしたのですか
-キムさん-
とんでもない
韓国では車の整備エンジニアをしていたので料理とは程遠い世界にいました( ´∀` )
初めから韓国料理ができたというわけではなかったんです ただ・・・沖縄へ来てからは一家を支えて生活しないといけないですから、それこそお肉屋さんなどでアルバイトもしました。振り返ると当時働いていた経験があってこそ今のお店があると思っています
料理店を出すきっかけになったのは、アルバイト以外に自分で何かしたいとの思いがあったからです。出資を抑えたい・・・そんな思いもあって、キムチづくりから始めました本場のキムチを作って宅配を始めると、あちこちから注文が入りまして 那覇の松山にある飲み屋街で売れましたね~
-ごさまるお-
キムチの宅配から始めるっいいアイディアですね!!! 反応はどうでしたか
-キムさん-
上々でした そのうちに常連さんができて、参鶏湯(サムゲタン)も作ってほしいなどの要望を受け、一品料理を作っては配達していました
飲み屋街には色んな人がいて、オカマさんからの注文もあって、たくさん勉強になりました キムチの次は、セットメニューなども考えました。できる事は全部試して料理を出しましたね。
そうしたら、常連さんから いっそのことお店を出した方がいいんじゃないと言われ、じゃぁ、やってみるか”!!ってことになって、韓国料理店「チング家」を始めました
-ごさまるお-
すごいっ
この前、こちらでキムさんのお料理を食べたんですね すごく、美味しかったです なので、常連さんができるのもわかる気がします!
お店のメニューは身体に良いものが多いと感じたのですが、韓国ではどのようなものが良く食されているのですか?
-キムさん-
韓国って夏は暑くて、冬はと~っても寒い所です。夏にしっかりと栄養を付けて冬を乗り切る!!
ですから、医食同源を意識した食材が豊富です。韓国の寒さは普通じゃないですよ~
冬は冷凍庫の中よりも寒く、それが5月まで続きます
春は「野ビルや菜の花」などのナムル、夏は「参鶏湯(サムゲタン)」、冬は「白菜の料理」など旬の野菜を中心とした食材を食べます。
-ごさまるお-
この間食べた焼き肉カルビを韓国海苔で食べると最高でした!ナムルのモヤシも美味しい。
薬膳メニューも豊富ですよね。
-キムさん-
韓国の薬膳といえば鍋です!寒さを乗り切るため、8割くらいは鍋料理やスープ料理を食べています!!
僕が慣れ親しんできだ鍋料理やスープ類のメニューをお店では提供していますチーズをたっぷり入れたダッカルビ、そこまで辛くないクッパ(韓国式雑炊)は身体を温めてくれますよナムルはモヤシ、小松菜、ホウレンソウ、ゼンマイなどを和えた冷菜です。
-ごさまるお-
韓国料理と言えば焼き肉だと思っていました(笑)
-キムさん-
たしかに韓国料理といえば焼き肉を思い浮かべる人が多いですね 先ほどお話したように、韓国はすごく寒い地域ですから、食事の中心は鍋料理など汁物系になります
ちなみに韓国では焼き肉を食べた時は、締めに冷麺を食べて身体にこもる熱を下げます!!
-ごさまるお-
冷麺にそんな意味があるのですね!!
キムさんから料理の話しを聞いていると、「食べる事」=健康なんだなぁ~と切に思います。
ここ沖縄で本場の韓国の料理が食べられるのはラッキーです
-キムさん-
ありがとうございます
僕は沖縄に来た当初、いろいろな仕事をしていました・・・どんなに頑張っても自分に合わない仕事は精神的にきついですよね
右も左も分からない状態で「チング家」を始めましたが、今では常連さんも増え、「美味しい」という言葉に喜びを感じています
これまで、妻のアドバイスを聞きながら二人三脚でメニューを増やしてきました。仕事量は結構きついですが、精神的にはとてもやり甲斐を感じています お客さんが喜んでくれるようなメニューをこれからも出し続けますよ
ちなみに、うちのスッポン料理は元気になると評判です ぜひお試しください
-ごさまるお-
一から始めた「チング家」とのでことですが、奥さんや常連さんに支えられて、ここまできたのですね
韓国という国は食文化を大切にしているんだな~と感じました。
キムさん、今度はスッポン鍋を食べたいと思います
-キムさん-
はい、お待ちしていますよ
Interviewee:キム・ソンムク
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Writer:ごさまるお
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子
那覇市の裁判所通りにある韓国料理店「チング家」に入ると、店長のキム・ソンムクさんが元気の良い声で暖かく迎えてくれました。
そのお店の外壁には大きく書かれた「薬膳」、「スッポン」の文字が目に留まります!!数ある韓国料理店の中でも薬膳を全面に出している所はなかなかお目にかかれないのではないでしょうか!?
韓国といえば韓流ドラマですね!!
「チャングム」にハマってた人も多いと思いますその影響もあって、東洋医学の概念を食べて体感したいと思い、沖縄で韓国料理店を営むキム・ソンムクさんに「韓国料理の魅力」を伺ってきました★
-ごさまるお-
こんにちは~ 今日は韓国料理について色々教えて下さい!
-キムさん-
僕でよければ
-ごさまるお-
早速ですが、キムさんは韓国出身ですか?
-キムさん-
はいそうです!
-ごさまるお-
どうして沖縄で韓国料理店をされているのですか?!?
-キムさん-
沖縄出身の妻との結婚を機に沖縄に住みたいと思い19年前に移住しました
妻との出逢いは彼女が韓国旅行していた時なのですが、寒い所が苦手な僕にとって沖縄は常夏の島!ハワイみたいで憧れていました沖縄の人は優しいですし。
-ごさまるお-
へぇ~ 旅先で実った恋 ドラマみたいです
チング家は、キムさんが沖縄にきてすぐにオープンしたのですか
-キムさん-
とんでもない
韓国では車の整備エンジニアをしていたので料理とは程遠い世界にいました( ´∀` )
初めから韓国料理ができたというわけではなかったんです ただ・・・沖縄へ来てからは一家を支えて生活しないといけないですから、それこそお肉屋さんなどでアルバイトもしました。振り返ると当時働いていた経験があってこそ今のお店があると思っています
料理店を出すきっかけになったのは、アルバイト以外に自分で何かしたいとの思いがあったからです。出資を抑えたい・・・そんな思いもあって、キムチづくりから始めました本場のキムチを作って宅配を始めると、あちこちから注文が入りまして 那覇の松山にある飲み屋街で売れましたね~
-ごさまるお-
キムチの宅配から始めるっいいアイディアですね!!! 反応はどうでしたか
-キムさん-
上々でした そのうちに常連さんができて、参鶏湯(サムゲタン)も作ってほしいなどの要望を受け、一品料理を作っては配達していました
飲み屋街には色んな人がいて、オカマさんからの注文もあって、たくさん勉強になりました キムチの次は、セットメニューなども考えました。できる事は全部試して料理を出しましたね。
そうしたら、常連さんから いっそのことお店を出した方がいいんじゃないと言われ、じゃぁ、やってみるか”!!ってことになって、韓国料理店「チング家」を始めました
-ごさまるお-
すごいっ
この前、こちらでキムさんのお料理を食べたんですね すごく、美味しかったです なので、常連さんができるのもわかる気がします!
お店のメニューは身体に良いものが多いと感じたのですが、韓国ではどのようなものが良く食されているのですか?
-キムさん-
韓国って夏は暑くて、冬はと~っても寒い所です。夏にしっかりと栄養を付けて冬を乗り切る!!
ですから、医食同源を意識した食材が豊富です。韓国の寒さは普通じゃないですよ~
冬は冷凍庫の中よりも寒く、それが5月まで続きます
春は「野ビルや菜の花」などのナムル、夏は「参鶏湯(サムゲタン)」、冬は「白菜の料理」など旬の野菜を中心とした食材を食べます。
-ごさまるお-
この間食べた焼き肉カルビを韓国海苔で食べると最高でした!ナムルのモヤシも美味しい。
薬膳メニューも豊富ですよね。
-キムさん-
韓国の薬膳といえば鍋です!寒さを乗り切るため、8割くらいは鍋料理やスープ料理を食べています!!
僕が慣れ親しんできだ鍋料理やスープ類のメニューをお店では提供していますチーズをたっぷり入れたダッカルビ、そこまで辛くないクッパ(韓国式雑炊)は身体を温めてくれますよナムルはモヤシ、小松菜、ホウレンソウ、ゼンマイなどを和えた冷菜です。
-ごさまるお-
韓国料理と言えば焼き肉だと思っていました(笑)
-キムさん-
たしかに韓国料理といえば焼き肉を思い浮かべる人が多いですね 先ほどお話したように、韓国はすごく寒い地域ですから、食事の中心は鍋料理など汁物系になります
ちなみに韓国では焼き肉を食べた時は、締めに冷麺を食べて身体にこもる熱を下げます!!
-ごさまるお-
冷麺にそんな意味があるのですね!!
キムさんから料理の話しを聞いていると、「食べる事」=健康なんだなぁ~と切に思います。
ここ沖縄で本場の韓国の料理が食べられるのはラッキーです
-キムさん-
ありがとうございます
僕は沖縄に来た当初、いろいろな仕事をしていました・・・どんなに頑張っても自分に合わない仕事は精神的にきついですよね
右も左も分からない状態で「チング家」を始めましたが、今では常連さんも増え、「美味しい」という言葉に喜びを感じています
これまで、妻のアドバイスを聞きながら二人三脚でメニューを増やしてきました。仕事量は結構きついですが、精神的にはとてもやり甲斐を感じています お客さんが喜んでくれるようなメニューをこれからも出し続けますよ
ちなみに、うちのスッポン料理は元気になると評判です ぜひお試しください
-ごさまるお-
一から始めた「チング家」とのでことですが、奥さんや常連さんに支えられて、ここまできたのですね
韓国という国は食文化を大切にしているんだな~と感じました。
キムさん、今度はスッポン鍋を食べたいと思います
-キムさん-
はい、お待ちしていますよ
Interviewee:キム・ソンムク
Interviewer:ごさまるお・ちゅら子
Writer:ごさまるお
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子