2019年04月27日

CFP vol.30 チャンリナさん

はいたい!
Vol.30では、初めてカンボジアの女子リレーチームを国際大会に導いたチャン・リナさんを紹介します!!


CFP vol.30 チャンリナさん



リナさんは1年ぶり、2回目の登場になります。

お久しぶりです!!!
SNSやテレビ等で活躍ぶりは拝見しています。
プロゴルファー、陸上選手、タレントとして活躍されていますが、現在どのような活動をされているのでしょうか?


CFP vol.30 チャンリナさん

CFP vol.30 チャンリナさん

CFP vol.30 チャンリナさん


―リナさん―
陸上競技をメインにカンボジアでリレーを普及させるため日本で教わったことを現地の選手に伝えながら、私自身もリレーの選手として研鑽を積んでいるところです。
実は昨年、ジャカルタで開催された第18回アジア競技大会に初めてカンボジアの女子リレーチームとして国際大会に出場することができました☺


―えりな―
初の国際大会って歴史的なことですね。様々な活動をされている中、なぜ陸上に転向したんですか❓


―リナさん―
大きな理由はオリンピックに出たかったことです。ゴルフでオリンピック出場するにはカンボジアの枠と、世界ランクが必要で取得に時間がかかるんです。その時目に入ったのが、日本人でありながらカンボジア代表としてマラソンに挑戦する猫ひろしさんの存在でした。早速調べてみると陸上なら男女一つずつの代表枠があることを知って、自分の努力次第でオリンピックが見えてくるかも!!と思ったんです。そのときの年齢が34歳でした。幼いころ、走りが得意だったので自信はありました!しかし、いざ走ってみると100ⅿもおもうような走りができず、足も痛くなり体の衰えを実感しました。もちろん悔しくてそこで終われず、体を作り直そうとまず自分の食生活を見直し、お酒や夜遊びをやめました。それから陸上教室とコーチを探したんです❗


―えりな―
競技スタートが34歳って、行動力と強靭な心に脱帽ですびっくり
どんなトレーニングを行ったんですか❔


―リナさん―
コーチは私の走りを見るなり、走らなくていいと言ってきたんです。そもそも私の体が陸上選手としての体になっていないと指摘されました。コーチの練習方法は基本を徹底的に叩き込む練習なんです。本来ダイナミックな練習を好むので、こんな地味な練習は半信半疑というか苦痛だったんです。ところが、いざやってみると足を真っすぐ上げて真っすぐおろすという練習さえもまともにできませんでした。基本の大切さを理解し、ミニハードルなどを繰り返し行い、歩き方も徹底的に矯正しました。今でも練習方法をめぐりコーチと言い合いになることもしばしばありますが、思った事を伝え、話し合い、納得するとより集中して考えて取り組むことができるんです。


―えりな―
陸上選手として自分の体を作りつつ、オリンピック出場という目標を目指したんですね。
どうして4×100のリレーを選んだのですかはてな


―リナさん―
カンボジアはリレーで国際大会に出場したことがなかったんです。それで私が母国のためにリレーチームを作り、国際大会に導きたいと強く思ったんです。
私は幼い時に日本に難民として連れてこられたので、母国が2つあると思っています。なので、2020年の東京オリンピックに出場して今までお世話になった日本の人々に自分の成長を見せて恩返しをしたいんです。また、カンボジア難民の自分が頑張ることで、カンボジアをはじめ、他の国の難民の人や外国の人に勇気を与えられるのではないかとも思っています。


CFP vol.30 チャンリナさん


―えりな―
その強い思いがリナさんの行動力の原点なんですね。
チームを作り出すことからスタートしたアジア大会ですが、チームができるまでの過程はどうでしたかはてな


―リナさん―
カンボジアにはナショナルチームはあるものの、リレー経験者はなく、選手を探すところからのスタートでした。また、選手を募ってもランニングシューズを持っている人はいなくて、伝手(つて)を頼ってどうにかかき集めました。バトンも日本の選手から寄贈されたものなんです。ようやくルールを教え、形にしていきました。カンボジアのチームは17歳から35歳と年齢層も幅広く、陸上経験も様々なので形にしていくのは大変でした。ケガ人もいたので4人揃っての練習も限られ、本番当日までバトンパスが成功したことはありませんでした。しかも、バトンを渡すテイクオーバーゾーンが20ⅿから30ⅿにルールが変更にしていたことをレース前日に他国から情報をいただいたんです。正直焦りましたが、プラスに捉えて、助走を短く変更しましたGOOD
ところが一難去ってまた一難というんでしょうか・・・汗
アジア大会当日の明け方、私が突然持病のぜんそくで呼吸困難になり、救急車で搬送されてしまうというアクシデントに見舞われたんです。

CFP vol.30 チャンリナさん


早めの処置で大事には至りませんでしたが、チームに動揺を与えてしまいました。チームリーダーとしてまとめながら、選手としての自分の調整もしなくてはならない焦りと不安が、知らぬ間にストレスなっていた事が原因だったと思います。


―えりな―
レースに辿りつくまで壮絶な感じがしますが、アジア大会当日の様子やレースを終えてみてどうでしたか?何か変化はありましたか?


―リナさん―
カンボジア史上初、自分のぜんそく、チームの状態…たくさんの不安に緊張して会場に到着したんです。でも競技場に一歩足を踏み入れた途端、目の前のキラキラ光り輝く広い競技場に不安が払拭され「早く走りたい!」とワクワクに心境が変化しました。レース前のアップトレーニングも「私を見て‼」と観客席にアピールしながらやっていましたね(笑)実際のところ、息を吸うとぜんそくの発作が起きてしまわないか不安で、常に息を吐くことを意識し、保っていました。
レースが始まって、他国の選手がどんどんアンカーにバトンを繋げてゴールに向かうんです!なかなか仲間が見えなくてドキドキでしたが、どんなことがあっても周りを気にせず待とうと決めていたので助走ゾーンにくるまでは我慢しました。アンカーの私にバトンがつながった時、なんとしてもゴールしようと前だけを見て走りました。結果的に他のチームはほとんどゴールしていたので、私の一人舞台で走ることができてとっても気持ち良かったです。


CFP vol.30 チャンリナさん


レース後はチームみんながやり切った達成感のある表情で笑っていたんです。レース前に緊張と不安とプレッシャーに涙を流していた最年少の子も楽しかった、気持ちよかったって。そのみんなの笑顔がとても嬉しかったです。さらにチームのタイムも練習のベストタイムより2~3秒も縮まったんです。それもチームの自信になって、これで終わらないで、ここからがスタートだって気持ちが通じたんです。その気持ちと笑顔に私は大きな手ごたえを感じました。一方で夢を叶える大変さと、一瞬で終わる儚さも味わいましたが私の陸上競技人生で収穫の多い経験になりました。


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―えりな―
陸上って個人競技というイメージが強いですが、仲間を信じる絆がこんなにも人を強くするんだと感じました。無事にアジア大会が終わり、今は調整期間だとお聞きしていますが今回沖縄に来た理由はトレーニングですか?


―リナさん―
はい、沖縄は暖かいのでこの時期のトレーニングには最適です。昨年も沖縄でトレーニングを行い、シーズンに備えました。実はアジア大会が終わって、コーチと約束していたハードル競技を始めたんです。私は走るのは好きですが、陸上の練習は嫌いで…。初めて楽しいと思えたのが、ハードルの練習だったんです。次なるステップはこれだ!と思っていたので、アジア大会も乗り越えることができました。ハードルは高さやハードルとハードルの間の距離(インターバル)が決まっているんです。低いハードルから慣れていき、足の使い方やフォームを固め、14回目の練習では高校生のハードルの高さやインターバルを超えるようになったんです。自分の競技用ハードルの高さまであと一歩というところまで順風満帆でした。ある日の練習、『うまくいってる時こそ気をつける』という自戒の念もあったんですが、調子も良かったので自分を追い込もうともう一本ハードルを跳んだんです。そこで足が伸びた状態で着地してしまい、右ひざの前十字靭帯断裂という大けがをしてしまいました。


CFP vol.30 チャンリナさん


―えりな―
競技者としては致命的なケガだと思いますが…

―リナさん―
自分でも足の具合から大変なケガだろうと予想していたので、ショックではありましたが早く治す方法だけを考えていました。お医者さんが「ゴルファーとしてやっていくなら手術をする必要はないが、陸上選手として復帰するなら、早めに手術をしないと間に合わない」とおっしゃったんです。やっと国際大会に出場できて、陸上選手としてもスタートしたばかり、やり残したことがたくさんあるとその場で手術を即決しました。今は靭帯の再建をしているので、右足には負荷はかけられないんですが、患部以外は強化していかないと衰えてしまうので、今年は左足と腹筋、背筋、体幹トレーニングと右ひざのリハビリをメインに行っています。
今年は11月に東南アジア大会という東京オリンピックの内定がかかった大きな大会を控えているんです。その大会に出場するためにカンボジア陸連にケガの状態を知らせたうえで直々にお願いをし、手術をすることでさらに強くなるから出場させてほしいと説得しました。陸連側は前回のアジア大会の実績も認めて、4×100リレーと100ⅿハードルの出場を決定してくれました。ハードルの出場も嬉しかったんですが、それ以上にリレーの出場が決まったことで、もう一度メンバーと国際大会に出られるという喜びが大きかったです✨アジア大会よりも記録を更新しようと今から楽しみです。100ⅿハードルではカンボジアは1970年代からハードルの記録が更新されていないので、私が今回その記録を塗り替えたいと思っています。焦りはありますが、今はそこに焦点をあててモチベーションを保っています❗


―えりな―
目標があると人は強くなるといいますが、それでもやっぱり手術や入院生活、リハビリは苦しくなかったですかはてな


―リナさん―
目標はありましたが、あまりの痛さと辛さに心は折れてました。本当に辛かったですぐすん
そんなとき、たまたま同じ日に、同じケガをした高校生の女の子と知り合ったんです。彼女とは入院、手術日、部屋、主治医、その上話していくと場所は違うものの、同じ陸上のクラブチームに所属していて同じコーチに教わっていたことが分かり、すぐに打ち解けて、周りからは『膝姉妹』と呼ばれるほど仲良くなりました😊幾度となくくじけそうになりましたが、痛みや辛さが分かるのでお互いを励ましあってリハビリを続け、乗り越えてきました。彼女がいなかったらリハビリは遅れていたかもしれません。リハビリ以外ではお互いの将来の話をしたり、他愛のない女子トークで盛り上がりましたねハート私は将来、スプリンターやハードル、リレーの指導者になり陸上競技を教え、広めていく目標があるんです。高校生の彼女も陸上という得意分野を生かして小学校の先生になりたいと話してくれました。だから二人共通の目標を掲げて、一緒にJrの指導者の免許を取りにいく約束をしました。彼女と話すことで、自分の思いや目標が整理されました。「今回ケガをしたことは何か意味があって、彼女との出会いもその1つだったと思います。また病室の方々にも恵まれていて、お見舞いに来た人が「ここは病院か?」と驚くほど、笑いが溢れ、賑やかな病室で私はとてもラッキーでした♪赤


CFP vol.30 チャンリナさん


―えりな―
楽しい入院生活ってあまり聞いたことがないんですが、入院生活やリハビリ、なんでも楽しさに変えてしまうリナさんの前向きな姿勢と様々な行動力は見ている人に勇気を与えてくれますねキラキラ 
最後にこれからの目標を聞かせていただけますか?


―リナさんー
今、カンボジアでハードルの選手は私一人しかいません。指導者もいません。普及したくても土台が小さいんです。じゃあどうするか?私は自分がやって見せることだと思っています。先ほどもお話ししましたが、今後は自分が選手としてだけでなく、指導者にもなりたいと考えています。今、自分がやっていること、やってきたことをそこで終わりにしたくないんです。私が日本とカンボジアの架け橋にも道標にもなりたい。それには自分からその環境に入って、やるだけやってみよう。やらずに後悔したくない思いが強いです。日本は陸上の先進国でもあるので、カンボジアのリレーメンバーにも日本の技術を体感し向上してほしくて、リレーの強化練習を日本でやってほしいと交渉中です。また、カンボジア代表として大会に出場するときは、母国語のクメール語でインタビューに答えたいので、カンボジアに帰国したときは大学に通い、クメール語を勉強しています。私がクメール語を話すと、カンボジアの人たちが喜んでくれるんです。


CFP vol.30 チャンリナさん


CFP vol.30 チャンリナさん


―えりな―
そうなんですね。東京オリンピックの楽しみがまた一つ増えました。
リナさんがハードルを選んだ理由はただ練習が楽しかっただけでなく、人生におけるハードル=障害物を超えることが楽しいんだなと思いました。またただ超えるだけでなく、過程を楽しみ、そして足跡を残し、後世につなげる大きな役割も果たすひたむきな姿に私もパワーをいただきました。
これからも応援しています。


CFP vol.30 チャンリナさん


Interviewee:チャン リナ
Interviewer:えりな・ちゅら子・お紅
Writer:えりな
Editor:ちゅら子
Proofreader:プー子



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